DAILY KOREAN PRO BASEBALL 2

1982年に発足し、2024年時点で10球団が加盟する韓国野球委員会(KBO)による韓国のプロ野球リーグ(通称KBOリーグ)に関するブログ。レギュラーシーズン、ポストシーズン(韓国シリーズなど)の試合速報や球団別の情報、現役プロ選手が含まれる野球韓国代表が出場する国際大会の情報などもお伝えします。 twitter : @kbodigest

  第9回 ハンファイーグルス

「暗黒時代はいつまで続く」 
2014年成績 : 49勝77敗2分け(公式戦最下位)
チーム総合採点…20点


 2013年シーズンオフはFA(フリーエージェント)で韓国代表として活躍したチョン・グヌ、イ・ヨンギュとチャンスメーカータイプの大物野手を獲得し、2年連続、過去5年間で4度の最下位から脱出しようとする強い姿勢が見られた。しかし他球団との差はそれだけでは埋まらなかった。


 雨で一日遅れた3月29日のロッテとの開幕戦は、新外国人投手クレイの好投で勝利と幸先よく始まった。しかし翌30日のロッテ戦はリリーフが打たれ2-11と大敗し、厳しい現実を予感させた。4月20日のLG戦で、チョン・グヌへの死球を巡ってベンチ総出の騒ぎとなった。結局LGとの最下位争いが続き4月末の勝率は.364で8位だった。
 投打ともに上位との差は明らかで、5月末には6連敗でLGに抜かれ最下位に転落した。6月1日、若手のイ・テヤンのプロ初勝利で連敗と最下位から脱出した。イ・テヤンはその後先発ローテーション入りし仁川アジア大会韓国代表にも選ばれた。テコ入れとしてSKで出番がなくなっていた強打の捕手チョ・インソンを、主力内野手として期待されていたが故障で出場できなくなっていたイ・デスとのトレードで獲得した。さらに活躍できなかったクレイを退団させ、新外国人投手タトゥスコと契約したが、6月半ばにLGに抜かれ再び最下位に転落すると、再び浮上することはなかった。
 7月9日のネクセン戦でシーズン最悪の7連敗となり、勝率は.329まで落ち込んだ。その後調子を上げ、7月22日のNC戦でシーズン初の4連勝をサヨナラ勝ちで飾った。8月9日のLG戦はユ・チャンシク、後半から抑えに定着したユン・ギュジンの継投で1-0と完封勝利し、勝率を4割台に乗せた。大きな連勝はなかったが、リリーフ陣が好調で連敗がなくなり徐々に勝率をあげていった。
 9月7日のLG戦で勝利し勝率は.426まで上がり、8位キアまで0.5ゲーム差に迫った。だがここからキアとの直接対決を含め5連敗となり、最下位脱出のチャンスを逃してしまった。仁川アジア大会による中断期間を経て、10月の12試合では2勝10敗と大きく負け越し、選手層の薄いハンファに公式戦128試合を戦い抜く体力は備わっていなかったことが明らかになった。10月17日のキア戦もパク・チョンジンの暴投によりサヨナラ負けと、夢も希望もなく5連敗で終わってしまい球団史上最悪の3年連続最下位となってしまった。
 
 
 チーム成績を振り返る。
 チーム防御率6.35は9球団中最下位、失点889も当然最下位と投手陣の弱さがそのまま低迷につながった。さらに失策も101も最多だった。
 先発ローテーションの軸となったのはチーム最多勝タイ(7勝)の若手イ・テヤンだった。外国人投手アルバース規定投球回数に達したが、防御率は5点台後半で6勝どまりと他球団の外国人投手と比べると見劣りした。シーズン途中入団の外国人投手タトゥスコも2勝どまりで、ソン・チャンヒョン、ユ・チャンシクといった期待の若手左腕も結果を残せなかった。
 リリーフではユン・ギュジン(7勝9セーブ)、アン・ヨンミョン(7勝)の経験豊富な選手たちが活躍した。38歳の左腕パク・チョンジンがチーム最多の60試合に登板と、新人チェ・ヨンファンなども起用されたが内容は悪く信頼を得たとは言い難かった。


 打線も弱かった。チーム打率.283は9球団中7位、チーム本塁打数104も7位、チーム盗塁数70は8位で、チーム総得点619は最下位だった。さらに9球団中最多の併殺打125と、つながりを欠いていた。
 打線の軸は4番キム・テギュン(元千葉ロッテ)で、打率.365、18本塁打、84打点と安定した成績を残した。外国人打者ピーエイも18本塁打、チーム最多の92打点と活躍した。チョン・グヌはSK在籍時と同じく1番打者として起用され、チーム最多の32盗塁と活躍したが、イ・ヨンギュは肩の故障で外野の守備につけず指名打者として起用されることが多く、104試合の出場にとどまり期待を裏切った。
 その他サードのソン・グァンミン(11本塁打)、外野のチェ・ジンヘン(12本塁打)がレギュラーとして活躍したが、上位球団と比べて大きく見劣りする選手層だった。控え野手陣はそれなりに充実していたが、レギュラーとして安定して起用できる選手が少なかった。
 


 オフシーズンのハンファは主役と言ってもよかった。73歳で歴代最多の監督通算勝利数を誇るキム・ウンニョン監督は2年の任期を終えて退任し、新監督にはSKを3度の韓国シリーズ優勝に導き、歴代2位の監督通算勝利数の名将キム・ソングンが就任し、大きな話題を呼んだ。2009年からの6年間で5度の最下位、3年連続最下位(2012年までは8球団制)と、プロ野球史上でも稀に見る暗黒時代に陥っているハンファにとって、最後の切り札と言っていい。そしてサムソンからペ・ヨンス、クォン・ヒョク、キアからソン・ウンボムとFAを行使した3人の実績ある投手と契約した。またFAを行使したベテラン外野手キム・ギョンオンとも再契約した。
 外国人選手であるが、主軸として活躍したピーエイは交渉が決裂し再契約に至らず、代役として米国メジャーリーグや日本プロ野球で活躍したモーガン外野手(元横浜DeNA)と契約した。そして2012年から2014年までロッテで活躍したユーマン、2012年サムソンで活躍したタルボットと、韓国での在籍経験がある外国人投手2名とも契約した。またイム・ギョンワン、クォン・ヨングァンなど他球団で活躍できなくなったベテラン選手とも複数契約した。
 
 
 かつてない大型補強に乗り出し、キム・ソングン監督に対する期待も非常に大きく、2015年シーズンのハンファは最下位脱出が当然であるかのように思われている。しかし5年以上続いた暗黒時代の根は思ったより深い。2007年のプレーオフを最後にポストシーズン出場もなく、最下位が指定席となったかつてない最弱チームにとって、近い将来の上位進出のための土台作りの一年となるのであろうか。
 
(文責:ふるりん