DAILY KOREAN PRO BASEBALL 2

1982年に発足し、2024年時点で10球団が加盟する韓国野球委員会(KBO)による韓国のプロ野球リーグ(通称KBOリーグ)に関するブログ。レギュラーシーズン、ポストシーズン(韓国シリーズなど)の試合速報や球団別の情報、現役プロ選手が含まれる野球韓国代表が出場する国際大会の情報などもお伝えします。 twitter : @kbodigest

  第5回 キアタイガース

「黄金時代の再現ならず」 
2010年成績 : 59勝74敗(公式戦5位)
チーム総合採点…40点


 2009年、後半戦の爆発的な勢いで前身のヘテ時代以来12年ぶりとなる韓国シリーズ優勝を果たし、プロ野球を大いに沸かせたキアタイガース。2010年は韓国シリーズを連覇し、1980年代から90年代にかけて最強を誇ったヘテの黄金時代の再現が期待された。


 しかし、2009年13勝をあげ優勝に貢献したものの契約のこじれで退団したガトームソン(元福岡ソフトバンク)の代役として期待された外国人投手ロドリゲスが、示範競技に登板しただけで故障により公式戦開幕前に退団するなど、何もかもうまくいった前年とは何かが違うという不吉な予兆があった。3月27日、敵地・蚕室野球場でのトゥサンとの開幕戦に2009年の最多勝投手ロペスを先発に立てて敗れると、30日の地元・光州での開幕戦となったサムソン戦まで開幕3連敗となった。だが31日ソ・ジェウンの好投で2010年初勝利を記録すると、3連勝と持ち直してきた。4月上旬新外国人投手ライトと契約したが、2009年打撃二冠王、シーズンMVP(最優秀選手)のキム・サンヒョン、ロペスの不調もあって思うように勝てず、4月を終えて11勝15敗の5位にとどまっていた。
 新戦力として期待されたライトだが、故障でたった2試合だけの登板に終わり退団し、5月上旬代役として新外国人投手コロンと契約したことで、外国人選手の交代枠2名を早々と使ってしまった。5月4日のハンファ戦から5連勝し、8日のSK戦で勝利し初めて勝率が5割を超えたものの、上位との差は縮まらず4位で5割前後をうろうろし始めた。それでも2009年11勝をあげ台頭した若手左腕ヤン・ヒョンジョンが5月だけで5勝と先発の柱に成長し、他の投手がそれに続けば上位進出も夢ではないかのように思えた。
 6月になると勝率5割前後でキア、サムソン、ロッテの3チームによる激しい3位争いに巻き込まれた。ヤン・ヒョンジョンが6月15日のキア戦でシーズン10勝目一番乗りと好調を維持すると、新外国人コロンも4連勝と実力を発揮し、チームも17日のハンファ戦で4連勝となり単独3位に浮上した。また6月8日にはかつての主力打者チャン・ソンホと2人の選手を、アン・ヨンミョンなど3人の選手と交換するハンファとの大型トレードが成立し、戦力補強に努めた。さていよいよSK、トゥサンの上位2チームを追撃しようかと勢いに乗り始めたと思いきや、2010年最大の悲劇が待ち受けていた。
 6月18日のSK戦は、9回表まで3−1とリードしていたが、ソン・ヨンミン、ソ・ジェウンが打たれ逆転サヨナラ負けを喫すると、チームの歯車は一気に狂い始めた。翌19日のSK戦は先発ロペスが打たれ大敗、20日のSK戦も完封負けとなると、22日から7位ネクセン相手にも3連敗してしまった。しかも23日のネクセン戦は、8回裏最初ファールと判定された当たりが相手の抗議によりホームランに判定が変更され逆転負けを喫するなど、運もなかった。
 投手ではユン・ソンミン、野手ではキム・サンヒョンと主力の離脱もあって負の連鎖はさらにつながり、6月25日からの2位トゥサン相手に3連敗すると、球団史上ワーストタイの9連敗となってしまい、順位も連敗前の3位から6位にまで後退していた。29日のSK戦は頼みのヤン・ヒョンジョンが先発し先制したが、中盤に逆転されてしまい、ついに球団史上ワーストの10連敗となってしまった。結局ここでもSK相手に3連敗し、連敗は12に伸びた。そして7月8日のトゥサン戦で連敗はついに16となり、チームのふがいなさに激怒したファンたちが蚕室野球場の駐車場で選手たちの乗ったバスを取り囲む騒動まで起きた。
 そしてついに翌9日、本拠地光州で最下位ハンファ相手にヤン・ヒョンジョンの好投で21日ぶりの勝利をあげ、連敗は16で止まった。また16連敗中にキム・ドンジェコーチが脳梗塞で倒れ、意識不明の重態となる悲報も流れた(2011年1月22日現在も意識は回復せず入院中)。7月14日のLG戦からまた5連敗し、勝率は4割少々まで落ちネクセン、ハンファと最下位争いするところまで落ちそうになった。
 そのため1軍と2軍のコーチを入れ替える荒療治を断行し、オールスター戦の中断期間から再開された7月27日以降の10試合で7勝3敗と復調の気配を見せ、8月5日の直接対決で大勝してLGを抜いて5位に浮上した。だが翌6日のトゥサン戦で敗れて再び6位に後退したが、7日には5位の座を奪回し、徐々に4位ロッテに近づきポストシーズン進出をあきらめまいとした。そして8月13日から15日のロッテとの直接対決3連戦で2勝1敗と勝ち越し勢いに乗るかと思われたが、8月後半の12試合で5勝7敗と勝ち越せず、調子を上げてきたロッテとの差が開きだした。そして9月になると背後にLGが迫ってきて、5日のトゥサン戦で敗れ4連敗となり1ヶ月間守ってきた5位の座を明け渡した。
 勝率4割台半ばにとどまって4位争いからも遠ざかり、チームの話題は8月末で14勝をあげていたヤン・ヒョンジョンの最多勝のタイトル獲得なるかが中心となったが、8月後半から9月はじめにかけて4連敗と元気がなかった。しかし9月7日のハンファ戦で15勝目をあげ、チームも5位の座を取り戻すと、ヤン・ヒョンジョンは14日のロッテ戦でも16勝目をあげ、リュ・ヒョンジン(ハンファ)、キム・グァンヒョン(SK)と並んで最多勝争いトップタイとなった。だが19日のLG戦で勝ち投手になれず、チームも5位の座が危うくなったが、LGがその後連敗したため公式戦5位が確定した。
 そして秋風が吹く9月26日の最終戦となったハンファ戦で、ヤン・ヒョンジョンが先発しキム・グァンヒョンの17勝に並ぶ最多勝トップタイを狙ったがあえなく敗れてしまい、爆発的な勢いで頂点へと駆け上がった2009年とは対照的に2010年の最後は寂しく3連敗で迎え、ポストシーズン進出すらならなかった。7月9日以降の成績は25勝27敗と5割近い勝率だっただけに、悪夢の16連敗さえなければ4位争いに残れたのではないかと惜しむ声も聞かれた。
 韓国シリーズ終了後の11月中旬、前年の韓国シリーズ優勝監督ということでチョ・ボムヒョン監督が率いた韓国代表は、広州アジア大会で見事優勝し、11名の選手が兵役免除となり、暗い話題が多かったキアに吉報をもたらした。その中には準決勝の中国戦で好投したヤン・ヒョンジョンがいた。すでに北京五輪優勝で兵役免除になっていたが、監督の信頼が厚かったユン・ソンミンは決勝の台湾戦などで好投し、故障で不本意な成績に終わった公式戦の鬱憤を晴らしていた。


 2010年のキアは、2009年同様質の高い先発投手陣に支えられていた。
 チーム防御率は4.39と8球団中3位で、先発投手陣の防御率は4.29だった。100イニング以上を投げた投手がチーム最多勝(16勝)のヤン・ヒョンジョン、元メジャーリーガーの実力を発揮したソ・ジェウン(9勝)、勝ち星に恵まれなかったが先発投手として最低限の役割を果たしたロペス(4勝)、シーズン途中入団ながら先発ローテーションを守ったコロン(8勝)と4人いた。若き右のエースとして期待されたが故障で一時期離脱したものの、先発にリリーフに活躍したユン・ソンミン(6勝)の存在も大きく、2011年の完全復活が期待される。
 リリーフ陣は先発陣と比べるとやや心もとなく、年間を通して活躍した抑えがいなかった。シーズン前半は2009年に続いてアンダースローのユ・ドンフンがつとめたが、悪夢の16連敗のときは登板機会がなく、後半戦は中継ぎとしての登板も多く14セーブにとどまった。ハンファからトレードされたアン・ヨンミョンも抑えで起用されたが、失敗も目立ち信頼を得るにいたらなかった。中継ぎではアンダースローのソン・ヨンミン(18ホールド)、速球派のクァク・チョンチョル(10セーブ)が目立ったが、左腕不足が明らかで若手の台頭が望まれる。
 最大の問題は、2009年キム・サンヒョン、チェ・ヒィソプの2人の強打者を軸として勢いのあった打線が沈黙したことだった。チーム打率.(260)は8球団中7位、得点(611)、本塁打(106)は同6位だった。特に本塁打は2009年の156本から50本も減少し、得点力の大幅な低下を招いた。2009年打撃二冠王だったキム・サンヒョンは、故障もあり打率.215、21本塁打、53打点と、前年の36本塁打、127打点より大きく成績を落とした。また2009年韓国シリーズ第7戦で優勝を決めるサヨナラ本塁打を打った若手のナ・ジワンも、本塁打数を23本から15本へと減らし成績が悪化した。前後の打者の不振により、元メジャーリーガーの大砲チェ・ヒィソプも21本塁打、84打点(2009年は33本塁打、100打点)と成績を落とした。
 だが強打者の周りを固める選手たちはその影響をあまり受けず、不動の1番打者イ・ヨンギュは打率3割以上で25盗塁と安定した成績で、2009年高卒新人ながらレギュラーに定着したセカンドのアン・チホンは、2010年攻守ともにスケールアップし、チーム唯一となる公式戦全133試合出場を果たした。年下のアン・チホンに刺激され、同じ若手のキム・ソンビンもショートのレギュラーに定着し、自身最多となる115試合に出場した。
 内野と比べると外野は選手層が薄く、年間を通して活躍したのはイ・ヨンギュくらいで、チームの顔であるベテランのイ・ジョンボム(元中日)も40歳を迎え、2009年のような活躍はできなかった。シーズン終盤外野の一角に定着し、攻守ともに実力を発揮しだした27歳のシン・ジョンギルに期待がかかる。
 チーム盗塁数は117と8球団中最少だったが、2ケタ盗塁を記録した選手が5人いるため走れないチームという印象は薄い。長打力がない分は犠打(109、8球団中3位)でカバーし、手堅い野球を指向していたことがわかる。

 2010年のオフは目立った動きがなく、外国人投手ロペスと再契約し、新外国人投手としてオーストラリア出身の左腕トラビス・ブラックリーと契約した。また成績不振によるコーチ陣の刷新もあり、平野謙高橋雅裕と2名の日本人コーチの就任もあった。前年の優勝の歓喜から一転して悪夢を見た2010年だったが、2011年は主力打者の復調やよりいっそうの投手陣の整備で、まずは2年ぶりのポストシーズン進出を目標に、本拠地・光州や全羅南道の野球ファンたちを熱狂させ、プロ野球人気を盛り上げることができるだろうか。


(文責 : ふるりん