DAILY KOREAN PRO BASEBALL 2

1982年に発足し、2024年時点で10球団が加盟する韓国野球委員会(KBO)による韓国のプロ野球リーグ(通称KBOリーグ)に関するブログ。レギュラーシーズン、ポストシーズン(韓国シリーズなど)の試合速報や球団別の情報、現役プロ選手が含まれる野球韓国代表が出場する国際大会の情報などもお伝えします。 twitter : @kbodigest

  第8回 ネクセンヒーローズ

「最下位という当然の帰結 
2011年成績 : 51勝80敗2分(公式戦最下位)
チーム総合採点…25点

 2008年の球団創設以降、複数の主力選手をトレードなどで放出してきたネクセンヒーローズ。他の球団と違って背後に大企業を持たず、メインスポンサーに運営費用の多くを依存する体質ではやむをえなかったのであろうが、それでは優勝争いするだけの戦力を抱えることはできず、2008年7位、2009年6位、2010年7位と下位に低迷してきた。だがLG、ハンファといった他チームのそれ以上の低迷で最下位だけは免れてきた。2011年シーズンも目立った戦力補強はなく、例年通り最下位争いに加わるだろうと見られていたが、2年連続最下位だったハンファの3年連続最下位が規定路線として予想されていた。

 4月2日、3日のSKとの敵地文鶴での開幕2連戦で連敗し、シーズン初勝利は5日本拠地木洞でのトゥサン戦となった。この試合でセーブをあげたソン・シニョンが、2010年セーブ王だったが故障で開幕に間に合わなかった守護神ソン・スンナクに代わって当分の間抑えをつとめ、4月だけで7セーブをあげた。その他のリリーフ陣は好投したが、サムソンで1年少々プレーした新外国人ナイト(元北海道日本ハム)以外に信頼ができる先発がいなかった。貧弱な打線が足を引っ張り、新外国人打者アルドリッジも低打率にあえぐなど、4月は10勝13敗と負け越し6位に終わった。
 5月になっても先発投手陣の貧弱さは代わらず、ナイトの不振と長打力不足の打線もあいまって5月後半になると連敗街道に入り、21日に4連勝と調子を上げてきたハンファに抜かれ初の最下位に転落した。連敗は26日のキア戦に敗れ8まで伸びてしまい、27日のLG戦で守護神ソン・スンナクが復帰後初セーブをあげ、13日ぶりに勝利したが、その後最下位から脱することはなかった。
 5月は7勝16敗と大きく負け越し、6月になってもチーム状況が改善されることはなかった。5月まで不振だったショートのカン・ジョンホ、韓国になかなか適応できていなかったアルドリッジなどの主力打者が調子を上げてきたが、逆に序盤好調だったキム・ミヌが不振に陥るなど、うまくいかなかった。6月15日のトゥサン戦に敗れ5連敗となり、勝率も3割台前半まで落ち込んだ。その後3連勝し持ち直すかに思われたが、6月下旬から梅雨入りで雨天中止の試合が相次ぎ間隔が空くようになった。6月も7勝13敗と負け越し、勝率3割台で最下位を独走していた。
 7月になっても雨天中止が多かった。12日のサムソン戦まで5連敗だったが、そのあと4日連続で雨天中止となり、17日のトゥサン戦から21日のLG戦までシーズン初の4連勝と波があった。7月は試合が少なかったこともあり、7勝7敗と五分の成績で終えた。依然最下位だったが、7位ハンファとは3ゲーム差とまだ挽回が可能だったこともあり、トレード期限最終日の7月31日、中継ぎで活躍していたソン・シニョン、若手の先発要員キム・ソンヒョンをLGに放出し、代わりに2軍の大砲パク・ピョンホ、2009年以来2年以上勝てなかった先発右腕シム・スチャンを獲得した。
 このトレードは吉と出た。パク・ピョンホはLG時代大物選手に阻まれ出番が少なかったが、長距離打者不足のネクセンでは才能を見込まれ4番として起用された。8月5日のトゥサン戦、移籍後初本塁打など3安打で3連敗から脱出する勝利に貢献すると、8月だけで6本塁打19打点を記録し信頼を得てその実力を発揮するようになった。シム・スチャンも9日のロッテ戦で移籍後初勝利をあげ、2009年6月以来の自身の連敗を18で止め、シーズン終了まで先発として起用された。新しい風が吹いたせいか、守護神ソン・スンナク、オ・ジェヨンなどのリリーフ陣が好調で、31日のトゥサン戦に勝利し、8月は12勝11敗と初めて月間勝ち越しを決めた。
 8月末現在で勝率は4割台前半に回復し、7位ハンファと1ゲーム、6位トゥサンとは2ゲーム差となり、最下位からの脱出は十分可能であるかのように思えた。だが6月後半から7月にかけての雨天中止の分が9月以降の追加日程にすべて詰め込まれたため、先発投手陣の層が薄いネクセンにとって不利であった。その不安は的中し、9月1日から8日まで引き分け1つを挟んで6連敗となり、しかもそのうちすぐ上の順位のハンファ、トゥサンに5敗したのがあまりにも痛く、最下位がほぼ確実になってしまった。パク・ピョンホも研究されたか9月になると打てなくなり、打線自体があまりにも元気がなかった。
 チームが最下位に沈む中、9月18日にはキャプテンとして4年間チームをまとめてきたベテラン内野手イ・スンヨンの引退試合が木洞野球場で盛大に行われ、首位サムソン相手に勝利し気持ちよく送り出すことができた。9月27日のSK戦で敗れ4連敗となり、球団創設4年目にして初のシーズン最下位が確定した。その後3連勝したが、10月の残り4試合は4連敗となり勝率も3割台後半(.389)で終えた。9月以降の成績は8勝20敗2分けと明らかに息切れし、シーズン終了時で同率6位のLG、ハンファとは8ゲーム差もついていた。


 2008年の球団創設以降、メインスポンサーがいなかった時期もあり、ヒーローズは複数の選手をトレードに出して運営費用を稼いだこともあった。そのうち2009年末多額のトレードマネーとともに放出したイ・テックン、チャン・ウォンサム(現サムソン)、イ・ヒョンスン(2011年までトゥサン、2012年より軍へ入隊)の代わりに獲得した選手は、一時期先発として起用された左腕クム・ミンチョル以外戦力となっていない。だが2010年以降にトレードした選手の見返りとして獲得した選手は、戦力として機能している場合が多い。
 2010年開幕前の3月、マ・イリョンの代わりにハンファから来たマ・ジョンギルは、右の中継ぎとして2年間活躍を続けている。2010年シーズン途中の7月、主力内野手だったファン・ジェギュンの代わりにロッテから来たキム・ミンソンは、セカンドのレギュラーに成長した。そして2010年オフ、成長株だった若手右腕コ・ウォンジュンの代わりにロッテから来たイ・ジョンフンは、ネクセンで再生し右の中継ぎとして活躍した。だがチームの軸を出し続けたつけは大きく、2011年シーズン初の最下位という当然の帰結になった。


 最下位に低迷した最大の要因は、チーム打率(.245)、得点(512)、本塁打(79)、盗塁(99)、四死球(511)など主要部門が8球団中最低に終わった打線にあった。チームの打撃二冠王はアルドリッジ(20本塁打、75打点)だったが、打率が.237と確実性を欠き好不調の波が激しかったため、2012年の再契約はならなかった。8月に活躍したパク・ピョンホは、ネクセン移籍後11本塁打を記録し2012年以降の活躍を予感させた。その他カン・ジョンホ(63打点)、ユ・ハンジュン(54打点)が中軸を打つことが多かったが、2ケタ本塁打を記録した選手が2人しかいないためパンチ力不足だった。
 機動力不足のチームにおいて、32歳のキム・ミヌが自己最多の126試合に出場し、23盗塁でチームの盗塁王となった。だが2011年41盗塁を記録した快足のチャン・ギヨンが故障で84試合にしか出場できず、11盗塁にとどまったのが惜しまれた。強力な捕手がいないのが低迷するチームの常であるが、ネクセンもその例外ではなく、近年正捕手をつとめていたカン・グィテが故障などで試合出場数が減った代わりに、シーズン途中申告選手から昇格したホ・ドファンが捕手として最多の79試合に出場した。
 また先発投手陣も8球団中最低クラスだった。チーム最多勝のナイト(7勝)は年間を通して先発ローテーションを守ったが、最多敗戦(15敗)でもあった。そのほか年間を通して起用された先発はムン・ソンヒョン(5勝)くらいで、クム・ミンチョル、キム・ヨンミンなど期待された選手が活躍しなかったため選手層の薄さが目立った。
 その反面、リリーフ陣は他球団に見劣りしなかった。5月から1軍に復帰したソン・スンナクは守護神として17セーブをあげ、チーム最多の20ホールドを記録した左のオ・ジェヨンを軸に、右のイ・ボグン(56試合)、イ・ジョンフン(44試合)、マ・ジョンギル(45試合)の中継ぎ陣などが控えていた。また大卒新人の左腕ユン・ジウンもワンポイントで53試合に登板し頭角を現したが、FA(フリーエージェント)で移籍したイ・テックンの人的補償としてLGへ移籍したのが惜しまれる。こういったリリーフ陣の奮闘もあって、チーム防御率(4.36)は8球団中7位だったが、同6位のトゥサン(4.26)、5位のロッテ(4.20)と大きな差が付かなかった。
 

 2011年オフ、課題の打線強化のため、2009年まで主力として活躍していたもののトレードでLGへ移籍し、FA(フリーエージェント)を行使したイ・テックンと4年総額最大50億ウォンで契約し復帰させ、大きな話題を呼んだ。それにとどまらず2012年1月、元メジャーリーガーの右腕キム・ビョンヒョン(元東北楽天)とも総額最大16億ウォンで契約し、選手を出す一方だったチームが大きな変化を見せている。その背景として、2011年までだったネクセンタイヤとのメインスポンサー契約が、近年のプロ野球人気もあって2年間延長され、当面の間財源が確保されたことがあげられる。外国人選手はナイトと再契約し、新外国人として左腕バンヘッケンと契約した。
 球団創設から5年目の2012年は、新球団というイメージもすっかり消え、早々と契約延長が確定したキム・シジン監督にとっても何よりも勝利が求められるシーズンとなる。そのためには投打ともにより強い柱と軸を作り、シーズンを通して安定した力を発揮できるチームに成長しなければならない。チーム史上初のポストシーズン(公式戦4位以上)進出実現のために、残された課題はどの球団よりも多い。
 
(文責 : ふるりん)