DAILY KOREAN PRO BASEBALL 2

1982年に発足し、2024年時点で10球団が加盟する韓国野球委員会(KBO)による韓国のプロ野球リーグ(通称KBOリーグ)に関するブログ。レギュラーシーズン、ポストシーズン(韓国シリーズなど)の試合速報や球団別の情報、現役プロ選手が含まれる野球韓国代表が出場する国際大会の情報などもお伝えします。 twitter : @kbodigest

  第1回 SKワイバーンズ

「最強飛龍軍団、難なく王座奪回」 

2010年成績 : 84勝47敗2分け(韓国シリーズ優勝)
チーム総合採点…90点


 2009年韓国シリーズで爆発的なキアの勢いに屈し3連覇を逃したSKは、名将キム・ソングン監督の指揮によりその強さを十分に発揮し、2010年シーズンは難なく2年ぶり3度目の優勝、2年ぶりの王座奪回を果たした。また約98万人と球団史上最多の観客動員数も記録し、球団創設10周年を最高の形で終えた。

 2010年のSKは、他の7球団にすべて勝ち越し、韓国シリーズもストレートの4連勝とまさに完全優勝で、球団史上最多の年間84勝を記録した。

 3月27日、ハンファとの開幕戦で開幕投手・門倉(元読売)が好投したこともあって3−2で逆転勝ちし好スタートを切った。開幕から10試合を終えて6勝4敗とスタートダッシュとはいかなかったが、韓国2年目の日本人投手・門倉の好調もあり、4月14日のハンファ戦から怒涛の連勝街道がスタートし、4月はその後負けなしだった。5月5日のネクセン戦で、開幕4連勝と2009年の手の負傷から立ち直ったエースのキム・グァンヒョンがネクセンで先発したが、打線の援護がなく1−2で敗れ、SKの連勝は16で止まった。しかしこの時点で24勝6敗の勝率8割と、2位トゥサン以下を大きく引き離していた。門倉も開幕7連勝と好スタートを切り、5月9日のサムソン戦で惜しくも敗れ、チームもこの後あまり勝てなくなったものの首位の座は安泰であった。
 5月末に4連敗したが、投打ともに選手層が厚く死角のないSKは順調に勝ち星を積み重ね、6月中旬になっても6割台後半の勝率を保っていた。6月27日のLG戦から7月4日のトゥサン戦まで、雨天中止3試合をはさんでの7連勝が最期の大型連勝で、この時点で勝率はなんと7割を超え、2位トゥサンとの差は9ゲームもありこのまま独走を続けるかに思えた。キム・グァンヒョンも8連勝と好調を維持し、7月13日のハンファ戦で最多勝争いトップの12勝をあげた。しかし7月後半になると、やや手薄だった先発陣に疲れが見え始め、それまで抑えだったイ・スンホ(背番号20)を先発に回すなどしてやりくりしたものの、8月にはトゥサンに代わって2位に浮上したサムソンの猛追を受けた。
 8月13日のトゥサン戦から20日のハンファ戦まで6連敗し、好調を維持していた2位サムソンに1.5ゲーム差まで迫られ、勝率も6割台前半に落ち余裕はなくなってきた。しかしこのあとの10試合を9勝1敗と大きく勝ち越し、追いすがるサムソンを何とか振りきり、9月になると2年ぶりの公式戦優勝がはっきり見えてきた。先発から抑えに転向したソン・ウンボムも安定した投球を見せ、キム・グァンヒョンはヤン・ヒョンジョン(キア)やリュ・ヒョンジン(ハンファ)と最多勝争いを繰り広げた。
 9月19日、2位サムソンとの最後の首位攻防戦は、敵地・大邱での大打者ヤン・ジュンヒョクとの引退試合となったが、キム・グァンヒョン、ソン・ウンボムの黄金リレーで3−0と完封勝ちし、公式戦優勝をほぼ手中にしただけでなく、キム・グァンヒョンは最多勝を確実にする17勝目をあげた。そして22日のトゥサン戦で勝利し、2年ぶりの公式戦優勝、4年連続の韓国シリーズ出場を決めた。4月半ばから5か月以上首位の座を譲らない圧倒的な強さであった。
 10月15日からの、サムソンとの韓国シリーズはSKの強さだけが際立った。本拠地・仁川での第1戦は先発のキム・グァンヒョンが逆転を許したが、その後逆転し9−5で勝利した。第2戦もサムソンに先制を許したが、チェ・ジョンの2本塁打で4−1とまたもや逆転勝ちした。敵地・大邱に移動しての第3戦も4−2で接戦を制し3連勝とし優勝に王手をかけると、第4戦ではリリーフにキム・グァンヒョンまで投入しまたもや4−2で勝利し、トゥサンとのプレーオフの激闘の疲労が癒えていなかったサムソン相手に無傷の4連勝で2年ぶり3度目の韓国シリーズ優勝を果たした。シリーズMVPには、4試合を通して勝負所での打撃が光ったパク・チョングォンが選ばれた。
 韓国チャンピオンとして出場した国際試合は、まず11月4,5日、台湾での韓台チャンピオンシップで台湾シリーズ優勝チーム・兄弟と2試合対戦し1勝1敗だった。11月13日は、東京ドームでの日韓クラブチャンピオンシップ日本シリーズ優勝チーム・千葉ロッテと対戦したが、エースのキム・グァンヒョンは入院中で参加できず、同時期の広州アジア大会に6名の主力選手を派遣していたこともあり、0−3で敗れた。

 2010年シーズンのSKは、チーム防御率3.71と8球団中1位と、投手力に支えられていた。
 まず、2度目の最多勝投手となったキム・グァンヒョン(17勝)が左、門倉(14勝)が右のエースとして、1年間を通して先発ローテーションを支えた。だが、先発投手陣の層が厚いわけではなく、キム・グァンヒョン、門倉以外で規定投球回数(年間133イニング)に達した者はおらず、先発投手の勝ち星は48勝と全体の6割にも満たず、あまり優勝チームらしくない。2009年シーズン途中入団ながら9勝した外国人投手グローバーの不振と故障が先発投手陣のやりくりを苦しくしたが、リリーフ陣の層の厚さにSKの強さの基があった。
 キム・ソングン監督就任以来、SKは細かい継投策を駆使してきたが、2010年もそれが顕著であった。特にリリーフ陣で大車輪の活躍をしたのが、先発で1度も起用されていない左腕チョン・ウラムであり、75試合、102イニングに登板し8勝をあげている。その他には同じ左腕のコ・ヒョジュンもリリーフのみで6勝し、チョン・ビョンドゥもロングリリーフで好投を見せた。夏場まで20セーブを上げていた左腕イ・スンホ(背番号20)も救援勝利が6勝もある。今まで見たようにSKは左腕のリリーフ陣の活躍が目立つが、かつては守護神をつとめていたアンダースローのチョン・デヒョンも、中継ぎに抑えに円熟味あふれる投球を見せた。
 また、SK投手陣の特徴として奪三振数(1087)が8球団1位である代わりに、与四死球数(590)も3位と決して少なくないことがあげられる。これは投手たちが四死球を恐れず球威のある球を投げ、三振を奪っているともいえる。その好例が、四球数(84)、奪三振数(183)ともに2位のキム・グァンヒョンである。

 さて、打線はさほど強力だったとは言えず、打撃優先で受賞者が決まるゴールデングラブ賞も、SKからは外野手部門でキム・ガンミンが選ばれただけだった。チーム打率(.274)は8球団中4位、本塁打数(120)も同4位、得点(704)も同3位という数字がよくあらわしている。また、個人打撃成績上位に、チェ・ジョン、チョン・グヌ、キム・ガンミン程度しか名前があがっていない。だが、チーム盗塁数(161)は8球団中1位、犠打(147)も同1位と、効率よく得点を重ねるスタイルが確立していた。また併殺打も86個と8球団中最少であった。
 チームに走る意識が徹底していたのは、2ケタの盗塁を記録した選手が6名もいたことで明らかである。最多盗塁はチョン・グヌの33個と、盗塁王のイ・デヒョン(LG)の半分だが、それ以外の選手では20本塁打、80打点とチーム打撃2冠王のチェ・ジョン(12盗塁)、18本塁打のパク・チョングォン(17盗塁)、10本塁打のキム・ガンミン(23盗塁)と、長打力のある選手も盗塁を成功させている点も特筆すべきことである。また、1番打者を任されることが多かったチョン・グヌは、盗塁だけでなく犠打も8球団中最多の22個決め、SKの野球を象徴する野手だったことがわかる。
 守備は8球団中7位の失策数(81個)と比較的堅く、特に38歳の正捕手パク・キョンワンの盗塁阻止率は34.4%と8球団でもトップクラスであった。相手に進塁を与えず、犠打も許さない攻守ともに隙のない野球が展開されていた。

 オフシーズンの動向としては、2004年のFA(フリーエージェント)によるLGからの移籍後、主力打者として活躍してきたベテランのキム・ジェヒョンの現役引退や、韓国最高のショートとして現代、サムソンで活躍してきたパク・チンマンの移籍があげられる。また、ここ数年ショートのレギュラーとして活躍してきたナ・ジュファンが兵役につくためチームを離脱し、現在33歳のパク・チンマンの獲得はその穴埋めの意味が強いが、次代のSKを担う若手のレギュラー発掘も求められる。
 充実した投手陣にあまり可能性のある若手が見あたらないが、エースのキム・グァンヒョンや、門倉などの外国人投手の調子しだいでは、2011年シーズンもSKは総合力で他球団を圧倒し、韓国シリーズ2連覇に大きな障害はないであろう。ここ数年最強チームであり続ける飛龍軍団の勢いはとどまることを知らない。


【チームMVP(最優秀選手)】
パク・キョンワン

129試合 打率.262  14本塁打 67打点 1盗塁

 2009年、SKが優勝を逃した原因のひとつに、負傷で途中離脱した正捕手パク・キョンワンの不在があった。だが、2010年シーズンは1年を通して正捕手の座に座り、38歳という年齢をまったく感じさず、チームを3度目の優勝に導き、捕手として史上初の通算300本塁打も達成した。特に34.4%という盗塁阻止率は、パク・キョンワンより若い他球団の正捕手より上であった。11月の広州アジア大会でも韓国代表に選ばれ、リュ・ヒョンジンやヤン・ヒョンジョン、ユン・ソンミン(キア)など他球団の若い投手をリードし、見事優勝に貢献した。現在のSK黄金時代は、パク・キョンワンがFAで現代から移籍し、球団史上初めて韓国シリーズに出場した2003年にその礎が築かれた。まさにパク・キョンワンとともにSKもあるのである。次代の正捕手育成もSKの課題だが、2011年シーズンもパク・キョンワンが正捕手となりチームに安定をもたらすと思われる。

(文責 : ふるりん