DAILY KOREAN PRO BASEBALL 2

1982年に発足し、2024年時点で10球団が加盟する韓国野球委員会(KBO)による韓国のプロ野球リーグ(通称KBOリーグ)に関するブログ。レギュラーシーズン、ポストシーズン(韓国シリーズなど)の試合速報や球団別の情報、現役プロ選手が含まれる野球韓国代表が出場する国際大会の情報などもお伝えします。 twitter : @kbodigest

  第7回 ヒーローズ

夢も希望もなかった新球団

2008年成績  : 50勝76敗(公式戦7位)


 2007年の1年間をかけても解決できなかった経営難の現代ユニコーンズ存続問題は、年末にソウル・木洞野球場を本拠地とするKTグループの新球団創設で一件落着かと思われた。しかし以前からソウルを本拠地とするトゥサン、LGの強い反対などに対し、KTの消極的な姿勢もあり、発表から2週間あまりで創設が白紙撤回されてしまうという信じがたい結末を迎えた。3度の球団売却交渉に失敗したKBO(韓国野球委員会)には強い非難が浴びせられ、このまま現代が解散となり1990年以来の7球団制に逆戻りしてしまうのではないか、との不安も聞こえた。
 1月末、KBOは投資会社センテニアルインベストメント(以下センテニアル社)がスポンサーを募集する新球団を設立することに合意したと発表した。これで8球団制が維持されると関係者が世論だのもつかの間で、センテニアル社側が新球団の監督を現代のキム・シジン監督ではなく、サムソン、LGなどで指揮を執ってきたベテランのイ・グァンファン氏を指名したことや、選手やスタッフの全員雇用を保証しなかったことに、現代の選手たちが猛反発した。その後何とか選手たちが説得に応じ、ほぼ全員が新球団へと移籍することとなった。ただし現代の主力投手だったベテランのチョン・ミンテ(元読売)などのように、移籍しなかった選手も一部見られた(チョン・ミンテはキアに移籍したが、2008年シーズン途中で現役引退を表明。)
2月末にはメインスポンサーとして新興のタバコ会社、ウリタバコが決定し、チーム名も「ウリヒーローズ」に決定した。選手たちは海外キャンプ中の他球団より遅れること約1ヶ月、2月半ばに春季キャンプを国内の済州島で開始した。現代ユニコーンズは新球団の発足をもって正式に解散となり、1996年の創設以来、わずか12年で4度の韓国シリーズ優勝を達成した輝かしい歴史に幕を閉じた。

 新球団ウリヒーローズは3月9日からの示範競技にも出場したが、2勝8敗で最下位に終わり、開幕前の予想も軒並み最下位に推す声が強かった。また経費節減もあり高額のベテラン選手を中心に選手の減俸が相次ぎ、選手たちのモチベーションが高まらないであろう点も不安材料だった。本拠地・木洞野球場は、これまで小規模なアマチュア野球専用の球場であったが、都心部の東大門野球場が再開発により解体されることとなったため、全国規模の高校野球大会が実施できるようソウル市が大規模に改装し、プロ野球の試合も開催できるようになった。新球団とはいえ、他球団のように大企業を親会社に持たず、さらに地域主義の強い韓国で、正式な本拠地を持てなかったため(注:2008年シーズン展望 第6回を参考)最悪の不人気球団となっていた現代を事実上受け継いだウリヒーローズの試合に、どれだけの観客が集まるのかはかなり不安視されていた。

 3月29日の開幕戦が雨天順延となった、翌30日の初の公式戦は、敵地・蚕室野球場でのトゥサン戦で、ソウルのライバル対決として注目を浴びるかと思われたが、あいにくの雨模様もあって1万人台前半の観客しか集まらなかったうえに、試合にも敗れた。4月1日の本拠地・木洞での地元開幕戦のハンファ戦は、1万4000人収容の球場に、春先のまだ肌寒い平日のナイターだったこともあり約4800人の観客しか集まらなかった。だが試合は1点リードされた9回裏同点に追いつき、チョ・ピョンホのタイムリーでサヨナラ勝ちとなり、ウリヒーローズが球団初勝利をあげた。その後5日のサムソン戦まで5連勝となり、開幕前の低い評価を覆すかに思えた。
 だがその後が続かず19日のロッテ戦まで6連敗となり、下位へと転落し始めた。20日のロッテ戦は、日曜日だったことともあり好調なチームを応援しようと首都圏の熱狂的なロッテファンたちにより客席が占拠され、初の1万4000人の大入り満員を達成した。4月を終えて12勝15敗の5位と、決して悪くはない位置につけてはいた。
 ただ2007年は6位だった現代の戦力をほぼそのまま受け継いだだけで、新外国人投手スコービー以外は大した補強をしなかったウリヒーローズは、5月になると負けが込み始め、11日のキア戦まで6連敗となり、25日のトゥサン戦に敗れ7位にまで後退した。29日のサムソン戦まで7連敗と泥沼に陥り、5月は8勝16敗と大きく負け越した。また木洞野球場で高校野球の全国大会が開催されることもあり、相手の本拠地に球場を変更したり、済州で試合を開催したりした。

 6月1日ロッテ戦に敗れ初の最下位に転落すると、7日のハンファ戦まで5連敗となった。しかし12日に雨天中断をはさむ延長14回の激闘となったキア戦でサヨナラ勝ちし、最下位から脱出した。翌13日新外国人として、日本プロ野球の通算セーブ記録保持者である大物日本人投手・高津臣吾(元東京ヤクルト)との契約が発表され、巻き返しを図った。高津は抑え不在のチームの救世主として期待され話題を呼んだ。しばらくはLGとの最下位争いが続いたが、後半復調し差を広げたこともあり、6月は10勝11敗で終えることができた。
 7月になり高津がセーブをあげる試合が増え、調子を上げてきたが後半になり勝てなくなり、9勝11敗とまたもや負け越し、7位で北京五輪中断期間を迎えた。しかしセンテニアル社が7月はじめに6月が支払期限だったKBOへの加盟金の一部24億ウォンの納付を伸ばそうとし、大きな話題を呼んだ。これに対して企業イメージダウンにつながったとしてウリタバコがスポンサー撤退と支援金中断を宣告した。もともと野球場内は禁煙が原則であり、スポーツ選手にとってタバコは好ましいものではなく、タバコ会社がプロ野球のスポンサーとして多額の投資をすること自体に無理があった。また「ウリタバコ」という企業名のうち、「ウリ」しか球団名につけられず、肝心の宣伝効果も非常に弱かったと思われる。
 
 金メダルに輝いた北京五輪韓国代表には、ウリヒーローズからチャン・ウォンサム、イ・テックンの2人が出場した。チャン・ウォンサムは予選リーグのサスペンデッドゲームとなり再開された中国戦での途中登板、オランダ戦の先発で好投した。イ・テックンはただ1人の右の外野手として期待されたが、あまり出場機会に恵まれなかった。

 8月26日からの公式戦再開後は、メインスポンサーを撤退したウリタバコからの要請もあり、「ヒーローズ」の名称で活動することとなった。新メインスポンサーを探さなければならなくなり、球団の行方に暗雲が垂れ込め始めたせいか、選手たちのモチベーションは上がらず、北京五輪後は11勝22敗と大きく負け越し、最下位LGも低迷が続いたため順位を抜かれることはなく、7位で最初のシーズンを終えた。


 投打の成績を振り返る。

 チーム防御率は4.48(8球団中7位)、609失点(同7位)と弱体投手陣が上位進出を阻んだといっていい。だが左のエースに成長したチャン・ウォンサムが12勝、2007年シーズン途中軍から復帰した左腕マ・イリョンが11勝と、2ケタ勝利を記録した投手は2人いた。そのほか先発に転向したイ・ヒョンスン(6勝)、リリーフでも先発でも活躍したファン・ドゥソン(6勝)、キム・スギョン(3勝)など、先発陣はそろっていた。
 問題はリリーフ陣の層の薄さだった。右のソン・シニョン、パク・チュンス、チョ・ヨンフン、左のノ・ファンスなどの中継ぎ陣がそろっていたが、防御率2点台の柱となる投手がいなかった。開幕当初から課題となっていた絶対的な抑え不在の解消のため、高津と契約した。しかし北京五輪以後はチームの低迷のためセーブのつく機会での登板自体が少なく、チーム最多タイの8セーブにとどまったが、防御率は1点弱と安定した内容だった。
 
 チーム打率は.266(8球団中4位)だったが、70本塁打(同6位)、97盗塁(同6位)と決め手に欠き、打線の破壊力はなく499得点(同7位)しかあげられなかった。打線の軸となったのは3年連続3割を記録したイ・テックン、チーム最多本塁打(13本)をともに記録した外国人ブランボー(元オリックス)、ベテランのソン・ジマンだった。通算500盗塁以上の39歳の大ベテラン、チョン・ジュンホも114試合に出場し、9月11日の古巣ロッテ戦で史上2人目の通算2000本安打を達成し、チームの数少ない明るい話題となった。
 守備面では、若手のカン・ジョンホがショートのレギュラーに定着し100試合以上に出場したのが大きかった。打撃面では物足りなかったが、現代在籍時からサードのレギュラーだったチョン・ソンフンも、安定した守備を見せた。捕手はカン・グィテが100試合以上に出場したが、正捕手とまでにはいかず、肝心な場面ではベテランのキム・ドンスがマスクをかぶる場面も目立った。不動の正捕手育成が急務である。
 
 オフシーズンも激動続きだった。10月2日公式戦終了を待たずしてまず元選手のパク・ノジュン団長が辞任し、その後イ・グァンファン監督も1年で退任となった。そしてすぐに現代出身者の選手が慕うキム・シジン新監督の就任が決まった。11月にはエースのチャン・ウォンサムを事実上30億ウォンの現金トレードでサムソンへ送ることになったが、他球団の反対が強くKBOにより取り消された。また、主力のチョン・ソンフンがFAでLGへ移籍した。
 ウリタバコに代わる新メインスポンサーは見つかっていないが、ヒーローズ球団は早々とKBOへの加入金の一部24億ウォンを12月末の支払期限よりも早めに納入し、選手たちの年俸も軒並みアップさせ、これまでのマイナスイメージ払拭に努めている。また2009年の新外国人選手として、ハンファで活躍したダグ・クラークと契約し打線の強化に努め、キム・シジン監督の構想から外れ年齢が40歳と高く今後に不安のある高津とは契約しなかった。
 
 新球団ヒーローズは、ソウルを本拠地としながら2008年の総観客動員数は8球団中最少の258077人(1試合あたり平均4096人)だった。本拠地木洞野球場が満員となった試合は、ロッテなど好調な相手チームのファンが押し寄せただけで、プロ野球ファンの新規開拓にはあまり役立たなかったと言ってもよい。場外の騒動ばかり目立ち成績も振るわず、チーム全体としてファンに夢も希望も与えられなかった2008年と違って、正念場となる2年目のシーズンは、安定した財政力のあるメインスポンサーを背後につけ、ファンにとって胸のすくような戦いを見せられるのであろうか。

(文責 : ふるりん