DAILY KOREAN PRO BASEBALL 2

1982年に発足し、2024年時点で10球団が加盟する韓国野球委員会(KBO)による韓国のプロ野球リーグ(通称KBOリーグ)に関するブログ。レギュラーシーズン、ポストシーズン(韓国シリーズなど)の試合速報や球団別の情報、現役プロ選手が含まれる野球韓国代表が出場する国際大会の情報などもお伝えします。 twitter : @kbodigest

  第3回 ロッテジャイアンツ

「4年連続の快挙、そして乗り越えられなかった試練」 
2011年成績 : 72勝56敗5分け(プレーオフ敗退、公式戦2位)
チーム総合採点…75点


 韓国史上初のプロ野球外国人監督・ロイスターが去り、これまでロッテに縁のなかったヤン・スンホ新監督が就任した2011年のロッテ。2010年まで球団史上初の3年連続ポストシーズン進出を果たしながら、短期決戦に弱いチーム体質を克服できず、涙を呑み続けてきた。投打ともに戦力が充実し、2011年こそ1992年以来19年ぶりの韓国シリーズ優勝を、と願う地元釜山の熱狂的なファンたちの期待は高かった。


 4月2日、本拠地・社稷での開幕戦ハンファ戦で、先発の新外国人コーリーの好投で6−0と完封勝ちし、順調なスタートを切った。だがヤン・スンホ監督は外野のレギュラーだったチョン・ジュヌをサード、指名打者だったホン・ソンフンをレフトにするなど大胆な配置転換を行ったもののあまり機能せず、キム・ジュチャンなど主力の不振もあって4月は7勝14敗2分けと大きく負け越し、ヤン・スンホ監督はチームを掌握できていないように見えた。
  5月になるとソン・スンジュン、サドースキーなども復帰もあって上昇気流に乗り、17日には勝率5割で同率4位にまで浮上した。主砲イ・デホ、カン・ミンホなど主力打者も好調だった。だが勝率5割前後を行ったりきたりで上位進出の気配がなく、6月後半になると投手陣が崩れ、またもや下位へと転落し始めた。イ・デホ、チャン・ウォンジュンなど一部の主力選手は調子を維持していたが、開幕前からの課題だった抑えが定まらず、ネクセンから移籍してきた若手コ・ウォンジュン、コーリーを試したがともに信頼を得るに至らなかった。


 6月末には勝率4割5分程度の6位、ハンファやトゥサンと下位争いをしていたが、近年のロッテは夏場以降の追い上げに特徴がある。7月上旬には先発でもリリーフでも使いどころがないと判断したコーリーを見切り、新外国人投手ブーチェックと契約した。勝負どころの後半戦に入り、最大の課題だった抑えにキム・サユルが定着したことで、チームに勝ちパターンが生まれた。5位に浮上し、7月末のトゥサンとの3連戦で連勝を4に伸ばして勝率5割に復帰、LGと同率4位に並び、ヤン・スンホ監督がチームの再編に成功すると、上位争いに加わるようになった。
 8月になってもチームの勢いは衰えることを知らなかった。打線ではイ・デホの前を打つ3番にソン・アソプが定着すると攻撃力が増し、前半戦は不調だったホン・ソンフンも復調してきた。投打ともにかみあい、首位独走態勢を築きだしたサムソンに離されることなく、キア、SKといった上位チームを追撃し始めた。8月25日にはキアとの直接対決に勝って4連勝で3位に浮上し、SKとの三つ巴の2位争いになった。9月1日にはついに2位へ浮上し、キア、SKの2チームに追いつく力はなく、その座を守り続けた。
 10月4日、ハンファ戦でシーズン最多となる20得点で大勝し、公式戦2位でプレーオフ進出が確定した。この成績は、1991年以降プロ野球が8球団1リーグ制(1999,2000年のみ2リーグ制)となってからは最高であった。主砲イ・デホの2年連続三冠王なるかも注目されたが、チェ・ヒョンウ(サムソン)との熾烈なタイトル争いに敗れ、首位打者のみの獲得にとどまった。7月以降の公式戦の勝率は.682(43勝20敗2分け)と驚異的で、優勝したサムソンを上回っていた。


 ロッテの強みはイ・デホを軸とした強力打線である。しかし層の厚さではなく固定されたレギュラー選手の個性が光る打線で、投手陣はリリーフにやや不安がある。こういうチームは特に打線のウィークポイントを作られたらそこを徹底して攻められ、短期決戦ではあえなく散ってしまうものだ。勢い任せのチームはもろい。


 1999年以来12年ぶりの進出となったプレーオフの相手は、それまで4年連続韓国シリーズ出場とポストシーズンで結果を出し続けているSKと非常に嫌な相手であった。戦力的には客観的に見てもリリーフ以外の面でSKのほうが見劣りし、事前の評判は後半戦尋常ではない勢いに乗っていたロッテのほうが高かった。しかし本拠地社稷での第1戦、接戦となり延長10回表ブーチェックが勝ち越し本塁打を打たれ、6−7で敗れてしまった。
 第2戦はソン・スンジュンの好投とチョン・ジュヌ、カン・ミンホの本塁打で4−1と勝利したものの、敵地文鶴での第3戦は0−2で完封負けを喫した。第4戦はイ・デホ本塁打、チャン・ウォンジュンの好投で2−0で完封勝ちし、決着は社稷での第5戦にもつれこんだ。雨で一日順延となった第5戦は、1回裏1点を先制するものの、その後逆転されリリーフも打たれ続け、4−8で無残にも敗れてしまい、4年連続でポストシーズンを勝ち抜くことはできなかった。しかも過去3年と違って、準プレーオフを戦う相手をプレーオフで待つ立場で有利であったにもかかわらず。


 ロッテ最大の武器である打線はチーム打率(.288)、得点(713)、本塁打(111)ともに1位だが、盗塁数(112)は5位とあまり足を使った攻撃はなく、イ・デホ、ホン・ソンフンなど右打ちの足が速くない選手が多かったため、併殺打数(124)も1位と、決して得点効率はよくなかった。イ・デホは打率.357で2年連続3度目の首位打者となった。シーズン途中から不動の1番となったチョン・ジュヌは自身初の133試合に出場し、打率.301を記録した。その他ソン・アソプも116試合で打率.326を記録し、この若手2人がチームに勢いを与えた。
 下位打線には正捕手カン・ミンホ、サードのファン・ジェギュンなど怖い打者が並び、上位から下位まで隙のない破壊力のある打線だったが、代打で力のある打者が少なかったため、ポストシーズンではSK投手陣の小刻みな継投にかわされることが目立ち、本領を発揮できなかった。
 打線と比べると投手陣はやや見劣りした。チーム防御率(4.20)は8球団中5位、失点(619)はトゥサンと同率4位だった。だが強力打線の援護でチーム最多勝の左腕チャン・ウォンジュン(15勝)、右のエースのソン・スンジュン(13勝)、2年目の外国人投手サドースキー(11勝)と3人の2ケタ勝利投手を出し、若手のコ・ウォンジュンも9勝と結果を出した。だがチームの連敗を止めてくれるような絶対的なエースには欠けていた。シーズンと注入団のブーチェックも4勝と、信頼を得るには至らなかった。
 リリーフ陣は層が薄く、中継ぎは右のサイドスローのイム・ギョンワン、左のカン・ヨンシク、イ・ミョンウ以外信頼に足る投手がおらず、めぼしい若手も見当たらなかった。だがシーズン途中から守護神となったキム・サユルが20セーブをあげて、30歳を過ぎてようやく才能を開花させ、後半戦の快進撃において立役者のひとりとなった。 


 2011年オフシーズンの動向は大きかった。まず生え抜きの主砲で韓国球界を代表する打者イ・デホが、FA(フリーエージェント)で日本プロ野球オリックスへと移籍した。そして長年リリーフの柱の一人だったイム・ギョンワンも、FAでSKへ移籍した。しかしSKから左腕イ・スンホ、アンダースローのチョン・デヒョンと実績のある2人の投手をFAで獲得し、手薄なリリーフの補強に努めた。しかし左のエースだったチャン・ウォンジュンが軍へ入隊してしまい、その代役として新外国人投手の左腕ユーマンと契約し、サドースキーとも再契約した。


 4年連続ポストシーズンで自信をつけ、数年前まで低迷しポストシーズン出場なんて夢のまた夢だったのがまるで遠い昔のように感じられるロッテジャイアンツイ・デホが抜けたとはいえ戦力補強に余念のない2012年シーズンこそ、20年ぶりの韓国シリーズ優勝を地元釜山のファンたちは心より願っている。

(文責:ふるりん