DAILY KOREAN PRO BASEBALL 2

1982年に発足し、2024年時点で10球団が加盟する韓国野球委員会(KBO)による韓国のプロ野球リーグ(通称KBOリーグ)に関するブログ。レギュラーシーズン、ポストシーズン(韓国シリーズなど)の試合速報や球団別の情報、現役プロ選手が含まれる野球韓国代表が出場する国際大会の情報などもお伝えします。 twitter : @kbodigest

  第4回 ロッテジャイアンツ

「真の強さを身につけるのはいつ…」 
2012年成績 : 65勝62敗6分け(公式戦4位、プレーオフ敗退)
チーム総合採点…60点


 主砲イ・デホが日本プロ野球オリックスへ移籍し、シーズン開幕前はその穴をどう埋めるかが話題となった2012年のロッテジャイアンツ。4月7日、本拠地社稷での開幕戦でハンファ相手に開幕投手ソン・スンジュンの好投もあって快勝した。その後4月は新しく4番を任されたホン・ソンフン、ベテランのチョ・ソンファンの好調もあって得点力も高く、新外国人投手ユーマンも3勝するなど韓国に適応し、4月末はトゥサンと同率首位だった。
 5月半ばに調子を落とし、当時好調のネクセン相手に3連敗するなど勝率5割を切ってしまった。後半トゥサン戦で3連勝するなど復調し、SK、ネクセンなどとの熾烈な上位争いが続いた。6月半ばまで首位SKと差がつき、LG、ネクセン、トゥサンなどとの2位争いを繰り広げていたが、6月28日までの7連勝でSKを抜いて首位に立った。特に6月24日のLG戦では、2012年先発として復活したベテランのイ・ヨンフンが、8回裏途中まであわや完全試合という好投を見せたが、プロ野球史上初の大記録はならなかった。
 しかし勢いは続かず、7月1日には戦力が整ってきた王者サムソンに首位の座を譲り、ファン投票で10名もの選手が出場し、ファン・ジェギュンがMVP(最優秀選手)を受賞した7月21日のオールスーター戦後には3位に後退した。8月9日、2011年オフにFAでロッテへ移籍したが故障のため戦力になっていなかったアンダースローのチョン・デヒョンが移籍後初登板をし、キム・サユルとのダブルストッパー体制ができあがり、8月14日まで5連勝したが首位サムソン、2位トゥサンを捉えきれなかった。
 8月後半、トゥサンが後退しSKとの2位争いが続いた。9月前半は2位の座を何とか守っていたが、カン・ミンホの負傷離脱や打線の不振で9月後半の10試合を1勝9敗と大きく負け越し、9月27日のサムソン戦で敗れ4位にまで後退した。9月30日からの5位キアとの3連戦で3連敗すれば4位の座も失ってしまうところだったが、10月2日キア戦の勝利で公式戦4位が確定し、2008年以降5年連続でポストシーズン進出を決めた。


 ポストシーズン、まず準プレーオフの相手は、2009年、2010年とともに準プレーオフで敗れたトゥサンだった。敵地蚕室での第1戦、伏兵のパク・チュンソの2ランで追いつくと、延長戦では相手のミスで2点を勝ち越し、最後はチョン・デヒョンが抑え7-5と勝利した。第2戦は、2012年シーズン途中でトゥサンからトレードで移籍してきた控え捕手ヨン・ドカンの本塁打で2-1と勝利し、プレーオフ進出に王手をかけた。
 本拠地社稷での第3戦は先発サドースキーの乱調で2-7と敗れた。第4戦はリードされてもソン・スンジュンをロングリリーフで起用し追加点を与えずにいると、8回相手の継投ミスで3-3の同点に追いつき延長にもつれ込んだ。そして10回裏、相手の暴投で4-3と勝利し、プレーオフ進出を決めた。過去4年間勝てなかったポストシーズンでようやく勝てたことで、勢いに乗り13年ぶりの韓国シリーズ出場も夢ではないかと思われた。
 プレーオフは、2年連続でSKとの対戦となった。敵地文鶴での第1戦は1-2と接戦の末敗れたが、第2戦は7回に4-4の同点に追いつき、キム・ソンベの好投で延長戦を制し5-4と勝利した。舞台を社稷に移した第3戦は、先発コ・ウォンジュンの好投や相手のミス連発で4-1と勝利し、念願の韓国シリーズ進出に王手をかけた。
 しかしこの辺から準プレーオフからの疲労が出始めた。第4戦、ロッテはシーズン中先発要員ではなかったチン・ミョンホを投げさせ1-2と接戦で敗れ、2勝2敗のタイに持ち込まれた。舞台を再び文鶴へ移した第5戦、ロッテは2回表3点を先制した。しかしその後の継投ミスや肝心な場面でのエラーで3-6と逆転を許し、その後は反撃できず2年連続プレーオフポストシーズン敗退となり、韓国シリーズ出場の夢は露と消えた。こうして5年連続で虚しさだけが残る秋をロッテファンは迎えなくてはならなくなった。
 開催地枠で出場した社稷でのアジアシリーズ2012は、日本シリーズ優勝チーム・読売に敗れ決勝進出はならず、大会自体も盛り上がりを欠いた。


 2012年の投打の成績を振り返る。
ロッテはかつて重力打線のチームだったが、2012年は夏場以降の打線の不振でチーム得点は509と、ハンファと並んで最下位だった。だが正捕手カン・ミンホ(19本塁打)、ベテランのホン・ソンフン(15本塁打)など一発のある打者が要所にはいた。3番に座るソン・アソプは打率.313を記録し、最多安打(158本)のタイトルも手にし、24歳にして攻守ともにチームの顔となり、キム・ジュチャン、チョン・ジュヌ、ファン・ジェギュン、パク・チョンユンなどと切れ目のない打線を構成した。
 
 チーム防御率3.48は8球団中2位と、投手陣の充実が上位に残れた大きな要因だった。先発陣では左腕の外国人ユーマンが13勝とチーム最多勝で、右のエースのソン・スンジュンは7勝止まりだったが報われない好投も少なからずあった。2010、2011年と2年連続2桁勝利の3年目の外国人投手サドースキーは8勝止まりで後半不振だった。ベテランのイ・ヨンフンが夏場まで先発として活躍し8勝と復活を遂げた。
 リリーフ陣は近年になく充実していた。右は速球派のチェ・デソン、アンダースローのチョン・デヒョン、サイドハンドのキム・ソンベ、左は変化球投手のイ・ミョンウ、カン・ヨンシク、イ・スンホなどがそろい、34セーブの守護神キム・サユルまでつなぐ必勝リレーが出来ていた。


 プレーオフ敗退後、2年連続で韓国シリーズに進出できなかった責任を取るということでヤン・スンホ監督が任期を1年残して辞任した。新監督には2012年シーズン途中ネクセンの監督を解任されたキム・シジンが決まった。
 戦力的にはダウンが続いた。まずFAを行使した主力打者ホン・ソンフンが古巣トゥサン、キム・ジュチャンがキアへと移籍した。また2011年オフFAで契約したイ・スンホも特別指名でNCへ移籍した。これに対して、ドラフトで指名したばかりの新人と引き換えに2000本安打を達成した好打者チャン・ソンホをハンファからトレードで獲得し、FAの人的補償としてトゥサンからは先発として計算できるキム・スンフェ、キアからは大卒新人ながら1軍に定着したホン・ソンミンを指名し、投手陣の強化に努めた。外国人選手はユーマントの再契約を早々と決め、サドースキーの代わりとして新外国人投手リッチモンドと契約した。
 

 ロッテは近年ポストシーズンの常連となり、10年程前ずっと最下位にあがいていた頃の姿は過去のものになってしまった。しかしファンにも優勝の美酒を味わってもらえる真の強さは身についていない。キム・シジン新監督はネクセンで数多くの主力選手を育てた手腕をロッテでも発揮し、20年以上遠ざかっている優勝に導くことができるのだろうか。

(文責 : ふるりん)