DAILY KOREAN PRO BASEBALL 2

1982年に発足し、2024年時点で10球団が加盟する韓国野球委員会(KBO)による韓国のプロ野球リーグ(通称KBOリーグ)に関するブログ。レギュラーシーズン、ポストシーズン(韓国シリーズなど)の試合速報や球団別の情報、現役プロ選手が含まれる野球韓国代表が出場する国際大会の情報などもお伝えします。 twitter : @kbodigest

  第1回 キアタイガース

ヘテタイガースの栄光、21世紀に再び輝く 

2009年成績 : 81勝48敗4分(韓国シリーズ優勝)

チーム総合採点…100点


 2009年シーズンは、12年ぶり10度目、キアとなってからは初となる韓国シリーズ優勝を達成したキアタイガース。その戦いぶりを振り返ってみたい。

 2007年は最下位、2008年は6位と、近年低迷していたキアは、新外国人投手の獲得以外にはあまり大きな戦力補強もなく、開幕前の下馬評も決して高いとはいえなかった。4月4日の開幕戦から3連敗と出だしも悪く、4月は10勝12敗1分けの6位と、やや出遅れた感があった。そこで球団は4月後半、LGからキム・サンヒョンをトレードで獲得し、手薄な内野陣の補強を図った。そしてこれがチームの運命を大きく決定づけたとは、この時点では誰も予想していなかったであろう。4月26日のサムソン戦で、キア移籍後の初本塁打となる満塁本塁打を打ったキム・サンヒョンは、30日のロッテ戦でも満塁本塁打を放ち、その勝負強さで元メジャーリーガーのチェ・ヒィソプとともに中軸を任され、CK砲と呼ばれるようになった。
 5月になると、キム・サンヒョンの加入で打線に勢いがつき、ガトームソン(元福岡ソフトバンク)、ロペスの両外国人投手、若手左腕ヤン・ヒョンジョンなどの投手陣も好調を維持し、16勝9敗2分けと勝ち越して3位で5月を終え、上位争いに顔を出すようになった。特にガトームソン、ロペスの両外国人投手が、過去2年ほどチームに欠かせない戦力となる外国人選手を連れてこられなかったキアとしては、信じられないほどの安定した活躍を見せていた。6月になると、ハン・ギジュの不調でシーズン当初は抑えに回っていたユン・ソンミンが先発に転向した。これで8球団中最高の先発陣ができあがり、大きな連勝も連敗もなかったが、12勝10敗1分けと勝ち越した。抑えにはアンダースローのユ・ドンフンが回り、先発が7回、8回まで投げて、中継ぎを1枚か2枚はさんでユ・ドンフンにつなぐ必勝リレーができあがった。
 韓国シリーズ3連覇を狙う王者SKが7月半ばになりもたつき首位の座をトゥサンに譲ると、開幕直後の負傷で長らく戦線を離脱していたトップバッターのイ・ヨンギュが復帰したこともあり、6月まで3位をキープしていたキアの調子が徐々に上がってきた。そして7月25日、本拠地・光州でのオールスター戦で高卒新人アン・チホンが2ランを打ち史上最年少でのMVPを受賞し、そのほかユン・ソンミン、精神的支柱のイ・ジョンボム(元中日)も活躍し、チーム全体が波に乗ってきた。7月31日、不調のSKを抜いて2位に浮上し、7月は12勝6敗と勝ち越した。
 そして8月2日のサムソン戦で、キム・サンヒョンの3打点の活躍で勝利しトゥサンを抜いて初の単独首位に立つと、ここから破竹の快進撃が始まった。8月7日からのSKとの3連戦は、このときのキアの勢いがよく現れていた。8日キム・サンヒョンの3打席連続本塁打で7月末から続く連勝を8に伸ばし、翌9日も9回裏2死走者なしから満塁のチャンスを作り、キム・ウォンソプの逆転サヨナラ満塁本塁打で怒涛の9連勝となった。8月のキアは、7月からの11連勝もあって20勝4敗と驚異的な成績を残した。この間キム・サンヒョンは打率4割以上、15本塁打、38打点とこれまで以上の活躍を見せた。
 12年ぶりの公式戦優勝が見え始めたキアは、9月初めユン・ソンミンが故障で戦線を離脱したこともあって、まさかのシーズン初となる5連敗を喫した。そして王者SKが調子を上げ、連勝を重ねキアとの差をつめていった。だが9月15日からヒーローズ、LGといった下位チームとの対戦が続き、24日準本拠地・群山でのヒーローズ戦で、キム・サンヒョンの36号本塁打などで快勝し、公式戦優勝、韓国シリーズ進出を決めた。8月末から9月にかけて負けなしの19連勝で終えた2位SKの猛追撃も、終盤の7連勝で何とかかわし、8月2日以降首位の座を譲ることなく公式戦を終えた。

 10月16日開幕となったSKとの韓国シリーズは、予想以上の激戦となった。本拠地・光州での第1,2戦でキアが連勝したが、敵地・仁川での第3,4戦はSKが連勝した。舞台を中立地のソウル・蚕室野球場に移した第5戦は、最多勝投手ロペスの完封でキアが勝利し王手をかけたが、第6戦は2−3と接戦の末SKが勝ち、決着は第7戦までもつれ込んだ。キアは第7戦、6回表まで1−5とリードされていたが、主力に成長したナ・ジワン、アン・チホンの本塁打などで5−5の同点に追いついた。そして9回裏、ナ・ジワンのこの試合2本目の本塁打でサヨナラ勝ちし、キアが12年ぶり10回目の韓国シリーズ優勝を決めた。2年目にしてチームを頂点に導いたチョ・ボムヒョン監督のみならず、前身のヘテ時代の栄光を知る数少ない選手にして精神的支柱のイ・ジョンボムも胴上げされたのが印象的だった。
 11月14日、日本・長崎ビッグNスタジアムで、日本シリーズ優勝チーム・読売と日韓クラブチャンピオンシップで対戦した。序盤は先発ヤン・ヒョンジョンの好投とナ・ジワンの活躍でリードを奪ったが、終盤に逆転され4−9で敗れた。

 チーム成績を見ると、チーム防御率は3.92(8球団中2位)と、1位のSK(3.68)より劣るが、公式戦で100イニング以上投げた投手が最多勝のロペス(14勝)、ガトームソン(13勝)、ヤン・ヒョンジョン(12勝)、ユン・ソンミン(9勝)の4人と先発がそろっていて、優勝の原動力となった。6月から抑えに定着したユ・ドンフンは22セーブをあげ、防御率も0.53と驚異的な成績を残した。
 打線であるが、チーム打率は.267と8球団中最下位だった。しかしチーム得点(706)、本塁打(156本)はともに3位と、決して貧打線ではなかった。チームの得点圏打率は.278と比較的高く、チャンスに強い打者が比較的多かった。本塁打(36本)、打点(127)の二冠王となった右のキム・サンヒョンはなんと4割を超え、そして満塁本塁打はそのうち4本と、チーム全体でも満塁での打率は.353と異常に高い。また元メジャーリーガーとしての本領をようやく発揮し33本塁打、100打点を記録した左のチェ・ヒィソプも、勝負強く相手投手陣の脅威となっていた。
 また2009年シーズン主力に成長し、韓国シリーズ第7戦で劇的なサヨナラ本塁打を放ち同シリーズMVPを受賞した大卒2年目の若手ナ・ジワンは、23本塁打、72打点という結果を残した。またセカンドのレギュラーに定着し高卒新人初のオールスター戦MVPを受賞、公式戦123試合に出場し14本塁打を記録したアン・チホンも、韓国シリーズ第7戦で追撃の本塁打を打つなど、大舞台での勝負強さが光った。2010年の韓国シリーズ2連覇は、この2人が鍵を握っている。そして引退勧告を拒否し現役を続行した39歳のイ・ジョンボム(元中日)が、1990年代チームを3度の韓国シリーズ優勝に導いた経験で、精神的支柱として123試合に出場し、攻守両面でチームを引っ張っていった。走攻守ともに若手、中堅、ベテランがかみ合い、最高の結果を出した。    

 近年低迷が続き、史上最多の9度の韓国シリーズ優勝を達成したヘテ時代の威光がすっかり色あせていたが、久しぶりの快進撃にファンたちが球場に戻り、球団史上最多の約58万人の観客動員を記録した。また、ビジターのファンも多いソウル・蚕室野球場や仁川・文鶴野球場にも、首位に立った8月以降は、大勢のキアファンたちが押しかけ、プロ野球史上最多の観客動員数(約592万人)達成にも大きく貢献した。
 オフの動向であるが、チームを優勝に導き2009年シーズンで契約の切れたチョ・ボムヒョン監督と契約を更新し、FA(フリーエージェント)を申請した正捕手キム・サンフンとも再契約した。ただ、かつての主力野手だったが近年は成績不振が続き2度目のFAを申請したチャン・ソンホは、2009年シーズンの年俸が5億5000万ウォンと高額であることがネックで、獲得に乗り出す球団もなく、14日現在キアとの再契約も話が進んでいない。
 2010年シーズンは、予想外の優勝を果たした前年と違って、王者ということで他球団の警戒も厳しくなり、その真価が問われる1年となる。


[チームMVP]

キム・サンヒョン

(2009年シーズン成績)
119試合 打率.317 36本塁打 127打点 6盗塁

 過去のプロ通算9年間で33本塁打しか打てなかった選手が、7年ぶりに古巣へ戻ってきて大爆発し、本塁打、打点の打撃2冠王となり、プロ野球界の主役となり、12月にはゴールデングラブ賞(三塁手部門)も初受賞した。シーズン開幕当初そのチームにいなかった選手が、公式戦MVPを受賞したのは史上初の椿事であった。LG在籍時は守備に難があってサードのレギュラーに定着しきれなかったが、開幕後しばらくして4月後半キアにトレードで移籍しファン・ビョンイル打撃コーチ(2010年から1軍首席コーチ)の指導を受けて、打撃が開眼した。ホームラン打者らしい滞空時間の長い打球を、2010年シーズンもたくさん描いてほしい。


[ワーストプレイヤー]

ハン・ギジュ

(2009年シーズン成績)
26試合 4勝5敗4セーブ 防御率4.24

 2007、2008年シーズンの2年間で51セーブをあげ、若き守護神として活躍していた速球派投手は、2008年北京五輪韓国代表で抑えとして起用されながら、米国、日本などに滅多打ちされたあたりから何かが狂いだしたようである。4月後半2度抑えに失敗し、ひじ痛により5月初めから約1ヶ月戦線から離脱した。復帰後は主に中継ぎとして起用されていたが、7月にまたひじ痛が再発し、今度は手術を受けたため約2ヶ月間1軍で登板できず、その後チームは快進撃を始め、守護神の座もユ・ドンフンに奪われた。9月中ごろ1軍に復帰し球威を取り戻してはいたが、あまり韓国シリーズ優勝に貢献できなかった。オフには米国でトミー・ジョン手術を受け、長期のリハビリ期間が必要で、2010年シーズン中の復帰は微妙な状況だ。プロ4年間で最低の成績に終わった2009年シーズンからの巻き返しを期待したい。

 
(文責 : ふるりん