DAILY KOREAN PRO BASEBALL 2

1982年に発足し、2024年時点で10球団が加盟する韓国野球委員会(KBO)による韓国のプロ野球リーグ(通称KBOリーグ)に関するブログ。レギュラーシーズン、ポストシーズン(韓国シリーズなど)の試合速報や球団別の情報、現役プロ選手が含まれる野球韓国代表が出場する国際大会の情報などもお伝えします。 twitter : @kbodigest

1.13年ぶりの観客動員数500万人突破

 2008年の韓国プロ野球は、1995年以来13年ぶり2度目となる総観客動員数500万人を突破し、例年にない盛り上がりを見せた。その最大の要因は、釜山を本拠地とし、周辺の慶尚南道地域出身者にも熱狂的な支持を受けるロッテの躍進だった。2000年に準プレーオフに進出して以来、2001年から4年連続最下位、2006、07年は2年連続7位と、最下位争いの常連だったロッテは、低迷からの脱出のため史上初の外国人監督ロイスターを迎え、空気の刷新を図った。そしてここ数年主力に成長した選手たちや新外国人ガルシア(元オリックス)などが軒並み好調だったため、開幕から上位争いを続け、週末になると3万人の大観衆が本拠地・社稷野球場に押しかけた。
 2008年シーズンの優勝大本命は、07年初の韓国シリーズ優勝を果たしたSKだった。SKは投打ともに他球団を圧倒し、卒のない試合運びと若きエースに成長した左腕キム・グァンヒョンの最多勝最多奪三振、シーズンMVPなどの活躍もあり、4月後半に首位へ立つと独走態勢を築き上げ、一時期ゲーム差をつめられることはあったが一度も首位を譲ることなく、2年連続の公式戦優勝を果たした。そのため2位争いが終盤激化し、ロッテは7月半ばにチョン・スグンの暴行事件でムードが悪化し、快進撃ももはやこれまでなのかと思われた。しかし8月末の北京五輪以降絶好調となり、チームの非公式スローガン「秋にも野球をしよう」が実現した。
 だが2位争いを制したのは、首位打者キム・ヒョンスなど若手選手が主力選手に成長したトゥサンだった。ロッテは9月半ばに8年ぶりのポストシーズン進出を決めたあと勢いが落ち、3位にとどまった。4位争いを制したのは、新人王チェ・ヒョンウなど若手選手が台頭したサムソンで、12年連続ポストシーズン進出を決め、地力を見せた。キム・インシク監督就任以降2005年から3年連続ポストシーズンに進出していたハンファは、最後に調子を落とし5位にとどまった。ダイナマイト打線の中心の大砲キム・テギュンが初の本塁打王に輝いたのが明るい話題だった。
 2007年シーズン途中入団のチェ・ヒィソプ、初の韓国でのプレーとなったソ・ジェウン、ホセ・リマなど元メジャーリーガーをそろえ話題を集めたキアは、彼らがこぞって期待はずれで、序盤で最下位に低迷し大きくつまずいた。夏場に一時期追い上げを見せたが、北京五輪後は調子を落とし6位に終わり、2年ぶりのポストシーズン進出はならなかった。ソウルの人気球団LGは、手薄だった投手陣に故障者が多く、5月以降低迷し続け2年ぶりの最下位にとどまり、6年連続でポストシーズン進出を逃した。
 開幕前に大きく注目を集めたのは、経営難による現代ユニコーンズ解散後、現代の選手たちがほぼ全員移籍して誕生した新球団ウリヒーローズだった。しかし経費節減のためベテランの高額年俸選手は大幅な減俸となり、大した補強もしないなどプラスイメージは弱かった。さらに6月末が納入期限だったKBO(韓国野球委員会)への加入金支払いを伸ばそうとし、メインスポンサーの「ウリタバコ」がスポンサーから降板するなどトラブル続きで、公式戦も7位に終わり新球団らしい新鮮味と感動をファンに与えることはできなかった。
 人気球団ロッテの好調により、2008年の総観客動員数は歴代2位の525万6332名で、1995年以来13年ぶりの総観客動員数500万人を突破した。特にロッテだけで約4分の1の137万9735名を動員し、1球団の観客動員数の年間新記録を更新した。ロッテファンは釜山だけでなくソウル・蚕室野球場、仁川・文鶴野球場など首都圏の野球場にも押しかけ、他球団の観客動員数増加にも貢献した。またロッテ以外の球団も最下位に低迷したLG以外軒並み2007年より観客動員数を増やし、全体では前年比約28%の増加率だった。

 ポストシーズンはロッテ−サムソンの準プレーオフで幕を開けた。人気球団ロッテの勝ち抜けを期待する声が大きかったが、8年ぶりのポストシーズン進出で大舞台に場慣れしていないロッテを、経験豊富なサムソンがうまくあしらい、3連勝で一気にプレーオフ進出を決めた。トゥサン−サムソンのプレーオフは、準プレーオフを3試合で終わらせ状態のよいサムソンが、第3戦を終えて2勝1敗とリードしていた。しかしここから地力に勝るトゥサンが調子を上げ、ヤン・ジュンヒョクなどベテラン選手が打てなくなったサムソンに第4戦以降3連勝し、4勝2敗で2年連続韓国シリーズ進出を決めた。
 韓国シリーズは王者SKとトゥサンが2年連続で対決することとなった。公式戦では13ゲーム差ついた両チームの対決は、実力通りの結果となった。実戦から3週間遠ざかっていたSKは、第1戦こそ敗れたが、そこからイ・ジョンウク、キム・ヒョンスなどトゥサンの主力打者たちを完璧に封じ、第2戦から4連勝で韓国シリーズ連覇を達成した。キム・ソングン監督のもと、SKは黄金時代を迎えつつあり、2009年はヘテ(現キア)以来の韓国シリーズ3連覇達成の期待がかかる。またポストシーズンは毎試合大入り満員を記録し、優勝したSKは大きな収入を得た。
 SKは2年連続でアジアシリーズへ出場し、今度こそ優勝をと意気込んでいた。緒戦の日本代表・埼玉西武戦は4−3と勝利し、次の中国代表・天津戦は7回でコールド勝ちし、決勝進出は確実と思われた。しかし前大会でSKにコールド負けを喫し雪辱を期していた台湾代表・統一に4−10と大敗し足元をすくわれ、失点率の関係で決勝戦に進めず、チーム最大の目標達成は2009年に持ち越しとなった。

 オフシーズンの動きであるが、今季はFAでの大物選手の移籍が目立った。特にLGはSKからイ・ジニョン、ヒーローズからチョン・ソンフンの2人の野手を移籍させ、2009年は最下位からの巻き返しを図っている。トゥサンは左腕イ・ヘェチョンが日本プロ野球東京ヤクルトへ、主軸打者のホン・ソンフンもロッテに移籍し、選手の流出に頭を痛めている。また大物選手ではシム・ジョンス(サムソン)、マ・ヘヨン(ロッテ)の引退が発表された。
 外国人選手では打点王に輝き人気者となったガルシア(ロッテ)、3年連続セーブ王のオ・スンファンとセーブ王争いを繰り広げた左腕トーマス(ハンファ、元北海道日本ハム)の活躍が目立った。両名とも2009年の残留が決まり、2年連続での活躍が期待される。また日本、米国メジャーリーグで活躍した日本人投手・高津臣吾(元東京ヤクルト)が6月にヒーローズへ入団し、抑えとして活躍したが、チーム事情により2009年の再契約は見送られた。


2.北京五輪、全勝優勝の道のり

 2008年、韓国プロ野球のみならず韓国スポーツ界でもっとも話題を呼んだのが、北京五輪で韓国代表が史上初の金メダルを獲得したことである。
 
 北京五輪のため、2008年シーズンは22年ぶりの3月開幕となり、7月いっぱいで公式戦をいったん中断した。韓国代表24名の選手は全員プロで、イ・スンヨプ(読売)、キム・ドンジュ(トゥサン)などの国際経験豊富な選手のほかに、イ・デホ(ロッテ)、リュ・ヒョンジン(ハンファ)、キム・グァンヒョン(SK)などの兵役を済ませていない若手の有望な選手が目立った。それでも8月13日の本大会開始まで2週間もなかったが、事前合宿を韓国で実施していた優勝候補のアマチュア最強チームのキューバ、オランダと3試合練習試合を行い、国際大会の雰囲気に選手を慣らしておいた。
 13日の予選リーグ緒戦は、マイナーリーグの有望な若手中心のアメリカだった。元メジャーリーガーの先発ポン・ジュングン(LG)が1回表1点を先制されるが、2回裏イ・デホが逆転2ランを打った。ポン・ジュングンは5回で降板し、試合はシーソーゲームとなった。韓国は5回裏イ・ヨンギュ(キア)のタイムリーなどで3点を勝ち越し、9回までに6−4とリードしていた。しかし9回表ハン・ギジュ、ユン・ソンミン(以上キア)の2人が打たれ、7−6と逆転を許した。だが韓国は9回裏快足のチョン・グヌ(SK)が内野ゴロの間に同点のホームを踏むと、イ・ジョンウク(トゥサン)の犠牲フライで8−7とサヨナラ勝ちした。
 最初の山場を乗り越えた韓国は、翌14日の開催国の中国戦で思わぬ苦戦を強いられた。先発ソン・スンジュン(ロッテ)は好投したが、2度にわたる雨天による中断で、6回裏途中0−0のままサスペンデッドゲームとなった。翌15日のカナダ戦は、3回表チョン・グヌの本塁打で1点を先制したが、その後走塁ミスもあり追加点を奪えなかった。先発リュ・ヒョンジンが9回裏2死満塁のピンチを迎えたが、見事完封し1−0で韓国が勝利した。
 翌16日の日本戦は、アジア地区予選での偽装オーダー問題もあって、因縁の一戦となった。試合は韓国の先発キム・グァンヒョンと、日本の先発和田毅(福岡ソフトバンク)の投手戦となった。キム・グァンヒョンは6回途中まで無失点に抑えたが、2番手ユン・ソンミンが6回裏新井貴浩(阪神)に先制2ランを打たれてしまう。韓国は7回表和田からイ・デホの同点2ランですかさず追いつくと、9回表岩瀬仁紀(中日)から代打キム・ヒョンス(トゥサン)のタイムリーで1点を勝ち越し、日本のエラーも相次いで2点を追加した。9回裏ハン・ギジュが登板したが1点を返され同点のピンチを迎えたが、チョン・デヒョン(SK)が後続を断ち5−3で勝ち、大会3連勝となった。

 翌17日には、降雨サスペンデッドとなった中国戦を消化し、0−0のまま延長に突入した。韓国は大会初のタイブレーク制に突入したが、11回裏不振のイ・スンヨプのタイムリーで1−0と辛勝した。翌18日の台湾戦は、1回表韓国が7点を先制し2回までに8点をリードしたが、先発ポン・ジュングンの調子が思わしくなく、さらにハン・ギジュも打たれ8−8の同点に追いつかれた。韓国は7回表カン・ミンホ(ロッテ)のタイムリーで1点を勝ち越し、最後はユン・ソンミンが抑え、9−8で大会5連勝となり、準決勝進出が確定した。
 翌19日は国際大会で苦手にしている優勝候補のキューバ戦だったが、両チームともに準決勝進出をすでに決めていて、若干緊迫感に欠けていた。韓国の先発ソン・スンジュンは2回表キューバに3点を先制されたが、4回裏コ・ヨンミン(トゥサン)、カン・ミンホのタイムリーで3−3の同点とし、相手の悪送球で2点を勝ち越し逆転した。その後追加点をあげた韓国は、クォン・ヒョク、オ・スンファン(以上サムソン)の継投で相手の反撃を1点に抑え、7−4で勝ち大会6連勝で予選リーグ1位通過が確定した。翌21日のオランダ戦は、先発チャン・ウォンサム(ヒーローズ)の好投と、イ・デホの大会3本目となる本塁打など打線の爆発もあり、10−0で7回コールド勝ちを収め、7戦全勝で予選リーグを終えた。

 22日の準決勝は、予選リーグは4位に終わったが侮れない強敵日本が相手となった。韓国の先発キム・グァンヒョンは、1回表相次ぐ守備の乱れで1点を先制され、2回表青木宣親(東京ヤクルト)のタイムリーで1点を追加された。その後キム・グァンヒョンは立ち直り、日本の打者はまったくタイミングが合わなかった。韓国は4回裏日本の先発杉内俊哉(福岡ソフトバンク)からイ・スンヨプ併殺打の間に1点を返し、代わった2番手川上憲伸(中日)からチャンスを作ったものの生かせなかった。
 韓国は7回裏代打イ・ジニョンが藤川球児(阪神)から同点タイムリーを打ち、試合はわからなくなった。すると8回裏韓国はここまでいいところがあまりなかったイ・スンヨプが岩瀬から大会初本塁打となる勝ち越し逆転2ランを打った。これで日本は完全に崩壊し、韓国はレフトのG.G佐藤(埼玉西武)のエラーやカン・ミンホのタイムリーで2点を追加した。最後はユン・ソンミンが抑え、韓国が6−2で勝利し、初の五輪野球決勝進出を決めた。9回表日本の最後の打者となった阿部慎之介(読売)の力ない飛球をキャッチしたライトのイ・ヨンギュがつかみ、感激のあまりその場にうずくまったのが印象的だった。

 翌23日の決勝の相手は、準決勝でアメリカに10−2と大勝したアマチュア最強のキューバとなった。ソウル・蚕室野球場、釜山・社稷野球場では決勝戦パブリックビューイングが実施され大勢の一般市民が集まり、韓国中が五輪代表の優勝を願って北京で戦う選手たちに声援を送った。
韓国は1回表キューバの先発ゴンザレスからイ・スンヨプの2試合連続本塁打で2点を先制した。パワーある打者がそろうキューバはその裏、韓国の先発リュ・ヒョンジンからエンリケ本塁打で1点を返した。その後リュ・ヒョンジンは一世一代の投球を見せ、キューバに同点打を許さないが、韓国も左腕ゴンザレスを打ちあぐね、キューバの野手の広い守備範囲にも阻まれ、緊迫した投手戦が続いた。韓国は7回表ラソからこの大会絶好調だったイ・ヨンギュのタイムリーで、貴重な1点を追加した。だがその裏キューバもベルが本塁打を打ち、1点差に食い下がった。
 試合は3−2のまま9回裏に突入した。カナダ戦と同じく好投を続けていたリュ・ヒョンジンは、明らかに球威が落ち連続四球を許すなどして、1死満塁と絶体絶命のピンチを迎えた。さらに審判のきわどい判定に激しく抗議した捕手カン・ミンホが退場処分を受け、流れはキューバに傾きつつあった。ここで代わったチョン・デヒョンと捕手チン・ガビョン(サムソン)のバッテリーは、今大会不調のグリエルを注文どおりの内野ゴロ併殺打に打ち取り、韓国が9戦全勝で現時点では最後となる五輪野球で初の、男子団体競技でも初となる金メダルを受賞した。韓国全土が五輪野球の優勝に酔いしれ、深夜まであちこちで祝杯をあげる声が韓国中で絶えなかった。
 
 北京五輪の優勝の要因を探ってみると、キム・ギョンムン代表監督(トゥサン)の選手選考に誤りが少なかったことがある。7月半ばの最終エントリー24名発表後、8月上旬の合宿でコンディションの悪かったイム・テフン(トゥサン)を、当時最多勝争いトップを走り好調だったユン・ソンミンに代えたこともあった。国際大会初となる若手の選手たちも大舞台で緊張することなく、普段の公式戦でのはつらつとした姿を北京でも見せ、優勝の原動力となった。また代表選手24名中14名が兵役を免除となったことも、選手たちのモチベーションを高める要因にもなったと言われている。
 五輪閉幕後代表選手たちはそれぞれの所属チームに帰っていったが、他のスポーツよりも多くの固定ファン層が形成されていることもあり、北京五輪の金メダルがプロ野球の観客動員増加にはさしてつながらなかった。ただ、現在韓国では「野球ブーム」が起こっているという。エリート至上主義によりアマチュア野球の裾野が非常に狭い韓国において、草野球チームの創設が相次いでいるのだ。高校の野球部が50あまりしかなく廃部が続く中、北京五輪の金メダルにより野球をやりたいという一般市民の熱が高まっているようだ。「スポーツは見るものより自分でやるもの」という韓国らしい傾向である。これで野球をやりたい子供たちが増え、野球競技人口の増加につながり、韓国球界全体の発展を期待したい。

 
 例年になく韓国で野球が盛り上がった2008年だが、2009年は3月にWBC(ワールドベースボールクラシック)が開催され、2006年の前大会でベスト4進出を達成した快進撃の再現を人々は待ち望んでいる。ただ今回は兵役免除が適用されず、前大会と同じく韓国代表を率いることになったキム・インシク監督(ハンファ)が臨んだ現職監督級のコーチ陣も実現せず、大会前から不安が大きい。今後キム・インシク監督がどのような選手を最終エントリーに残し、世界の強豪とどのように戦っていくのかが注目される。