DAILY KOREAN PRO BASEBALL 2

1982年に発足し、2024年時点で10球団が加盟する韓国野球委員会(KBO)による韓国のプロ野球リーグ(通称KBOリーグ)に関するブログ。レギュラーシーズン、ポストシーズン(韓国シリーズなど)の試合速報や球団別の情報、現役プロ選手が含まれる野球韓国代表が出場する国際大会の情報などもお伝えします。 twitter : @kbodigest

  第3回 ロッテジャイアンツ


久しぶりの快進撃に酔いしれた釜山カルメギたち 

2008年成績 : 69勝57敗(公式戦3位) 準プレーオフ敗退

  
 2007年オフ、ロッテジャイアンツは2001年から4年連続最下位、2006、07年は2年連続7位と続く長年の低迷を打破すべく改革に乗り出した。その最大の目玉が、韓国プロ野球史上最初の外国人監督、アメリカ人のジェリー・ロイスター監督を招聘したことである。また外国人選手は米国メジャーリーグ、日本プロ野球でプレーした大物外野手カリーム・ガルシア(元オリックス)と契約し、今年こそは2000年以来久しぶりに公式戦4位以上に残り、ポストシーズンに進出するのではないか、と長年チームのふがいない戦いぶりにため息をつくばかりだった釜山カルメギ(熱狂的なロッテファンたち)に期待を抱かせた。

 3月29日の敵地・大田でのハンファとの開幕戦は、エースのソン・ミンハンの好投と打線の爆発で11−1と快勝し、今年は何かが違うとファンたちに予感させるに十分だった。翌30日のハンファ戦も主砲イ・デホの爆発、ガルシアの韓国初本塁打などで9−8と打撃戦を制し、4月1日からの本拠地・釜山との王者SKとの3連戦では、先に2勝するなど開幕4連勝を飾った。その後4月は好調を維持し、社稷野球場は週末となると3万人の釜山カルメギたちで客席が埋め尽くされるようになった。4月12日のキア戦で勝ち単独首位に立ったが、すぐにSKに奪回された。19日のヒーローズ戦に勝ち再び単独首位となったが、わずか1日で終わった。4月末の順位は14勝10敗で首位SKと5ゲーム差だが2位と、投打ともに例年になく主力選手の状態がよく、上位に残っていた。

 5月6日から8日のハンファ戦で3連敗し4位まで後退したが、9日には3位に戻った。16日のサムソン戦まで4連敗するとまた4位に落ち、20日のキア戦に敗れると勝率5割となり、チームの調子は4月と比べて明らかに落ちていた。だがホームランを量産しだしたガルシアの活躍もあって、27日のハンファ戦まで6連勝し息を吹き返した。5月は13勝12敗と何とか1つ勝ちこして終わった。
 
 好調は6月になっても続き、3日のトゥサン戦に勝ち久しぶりに2位に戻った。だが首位SK相手に6日から8日で本拠地・釜山で3連敗してしまい、3位に後退した。さらに連敗は12日のトゥサン戦まで6に伸びてしまい、また4位にまで落ちてしまった。だが17日のハンファ戦まで4連勝で3位復帰と、連勝か連敗かの浮き沈みの激しい状態が続いた。6月24日から26日の首位SKとの3連戦でまた3連敗し、SKと3位ロッテとのゲーム差は12.5と絶望的に開いてしまい、6月は11勝11敗の五分で終わり、下旬はハンファとの3位争いが続いていた。
  
 7月になっても調子は上がらず、5日のLG戦に敗れ4位に後退した。その後3位と4位を行ったり来たりしていたが、15日釜山でのキア戦に敗れ4連敗となり、3位ハンファと4ゲーム差をつけられてしまうと、その日の深夜に事件が起きた。主力選手のチョン・スグンが、酔っ払った勢いで一般市民に暴行事件を起こし、逮捕されてしまったのである。しかもこれは通算3度目の傷害事件であり、チョン・スグンは無期限失格選手となりチームから離れていった。1番打者として数多くの盗塁を決めていたチョン・スグンがいなくなりチームには大きな動揺が走ると、22日のSK戦に敗れ今季初めて勝率5割を切ったロッテは、24日には5位に落ちてしまい、例年通り序盤は調子がよくても終盤はずるずると下位へ落ちてしまうのかと思われた。だが31日のトゥサン戦まで4連勝と調子を取り戻し4位に返り咲き、北京五輪後に期待を持たせた。
 8月3日のオールスター戦は、SKの本拠地・仁川で開催されたにもかかわらず、ファン投票でロッテが属する東軍はファン投票選出選手の10名中9名がロッテの選手で占められ、客席でもロッテファンが最も目立ち、ロッテによるロッテファンのためのオールスター戦だったと言っても過言ではなかった。主砲イ・デホが4安打1本塁打でMVPを受賞し、ファン投票で選出されたかつての主砲マ・ヘヨン(2008年オフに引退)も3打点と活躍した。

 ロッテからは北京五輪韓国代表に3名の選手が選ばれ、金メダル獲得に貢献した。主砲イ・デホは予選リーグの日本戦で和田(福岡ソフトバンク)から同点本塁打を打つなど、チーム最多の3本塁打を打った。正捕手カン・ミンホは決勝のキューバ戦で先発マスクをかぶり、韓国の先発リュ・ヒョンジン(ハンファ)を好リードした。米国帰りのソン・スンジュンは予選リーグの中国戦、アメリカ戦の2試合で先発し好投した。

 チョン・スグンの空白をソン・グァンミン、イ・イングなど活きのいい若手が埋め、北京五輪後のロッテは快進撃を続けた。8月は負けなしの6連勝で、さらに9月2日のLG戦まで球団新記録の11連勝となり、3位ながら2位トゥサンを猛追撃し1ゲーム差に迫っていた。期待を裏切った外国人投手マクレリーの代わりに北京五輪後入団した新外国人コルテスも、抑えで活躍し快進撃に貢献した。さらに11日のヒーローズ戦に勝ち7連勝でトゥサンから2位の座を奪い、その勢いはとどまることを知らなかった。16日のハンファ戦に勝ち、ロッテは公式戦4位以上が確定し、8年ぶりのポストシーズン進出が決定した。
 だが勢いで勝ってきたチームは、崩れるときはあっけない。9月19日から21日までのトゥサンとの2位の座をかけた直接対決3連戦で3連敗するなど、24日のサムソン戦まで6連敗してしまった。その後トゥサンに離されまいとしたものの以前の勢いを取り戻せず、最終的には2位トゥサンと1ゲーム差しかつかなかったが、公式戦は3位で終了し、ポストシーズンは準プレーオフからの出場となった。
 今季のロッテは社稷野球場に1球団の観客動員数新記録となる約138万人を集め、主催試合63試合中3分の1に相当する21試合で3万人の満員大入りを記録した。また好調ロッテの試合を見ようと、ソウル・蚕室野球場のトゥサン戦、LG戦などビジターの試合にも大勢の観客が押し寄せ、プロ野球の総観客動員数増加、13年ぶりの500万人突破の最大の要因となった。

 これまで1度も公式戦で優勝したことはなく、2度の韓国シリーズ優勝(1984年、1992年)はいずれも準プレーオフなどから勝ちあがっての奇跡的な勝ち方だったロッテには、今回もその再現が期待された。今回の準プレーオフの相手は公式戦4位のサムソンで、投打ともに選手の質で上回る部分が見られ、熱狂的な釜山カルメギのほとんどは、2位争いで敗れたトゥサンとのプレーオフ進出を確信していた。
 しかし12年連続でポストシーズンに進出したサムソンは短期決戦の経験が豊富で、8年ぶりの出場で場慣れしていないロッテは組しやすい相手だった。釜山での第1戦は先発ソン・スンジュンが打たれ3−12で大敗し、第2戦は3−4で接戦を落としてしまい、苦しい連敗スタートとなった。敵地大邱で巻き返しを図ろうとしたロッテは、第3戦で途中まで4−2とリードしていた。しかしサムソンに比べて見劣りするリリーフ陣が打たれ、4−6で逆転負けし、3連敗で準プレーオフ敗退が決まった。
 ポストシーズン進出決定後の成績は4勝8敗と、明らかに調子を落とした状態で準プレーオフに臨んだロッテは、サムソンに研究しつくされていた。チョ・ソンファン、ガルシアなど打線の火付け役が完璧に抑えられ、ソン・ミンハン、ソン・スンジュン、チャン・ウォンジュンの自慢の先発三本柱は3試合ともに早い回で降板させられ、手薄なリリーフ陣に負担がかかりロッテのペースに持ち込めなかった。完全に弱点をさらけ出されたロッテは、サムソンの老獪さに翻弄されてしまい、奇跡を起こすどころか地力の差をさまざまと見せ付けられてしまった。


 ここで投打の成績を振り返ってみる。

 打撃部門であるが、打率はSKと僅差の2位の.282で、得点は624(3位)、チーム本塁打数は93本(2位)と例年になく打線は強力だった。その中心はチーム最多の30本塁打を記録し、111打点で打点王のタイトルを獲得したガルシアだった。闘志あふれるメキシコ人のガルシアは勝負強い打撃だけでなく、守備や走塁でもハッスルプレーを見せ人気者となった。ここ2年間チームの主砲だったイ・デホは打率3割を記録したが、不振の時期が割と長く19本塁打、82打点と少し物足りない成績だった。また今季軍から除隊され、セカンドのレギュラーとしてだけでなく勝負強い打撃で3番を任されたチョ・ソンファンは、3割30盗塁、80打点以上を記録し、ガルシアと並ぶムードメーカーだった。
 そのほか快足の外野手キム・ジュチャンも3割30盗塁を記録し、若き正捕手カン・ミンホも19本塁打、82打点と活躍した。全体として上位から下位まで切れ目のない打線だったが、選手層が薄くて控えにいい選手が少なく、主力選手の数人の調子が落ちると得点力が大きく落ち、調子がいいと爆発的に得点を重ねたため、連勝と連敗を繰り返す波の激しいチームとなる最大の要因となっていた。
 投手部門の成績を見ると、チーム防御率3.68はSKに次ぐ2位で、エースのソン・ミンハン、ソン・スンジュンの右腕2人、左腕チャン・ウォンジュンからなる12勝トリオの8球団中最強の先発三本柱が投手陣を支えていた。特にプロ5年目23歳のチャン・ウォンジュンは自己最高の成績を残し、飛躍の1年となった。また先発4番手以降はイ・ヨンフン(6勝)、チョ・ジョンフン(5勝)などの右腕が任されることが多く、それなりの活躍を見せた。
 ただリリーフ陣の層がSK、トゥサンの上位2チームと比べて弱く、特に絶対的守護神の不在は最後まで悩みの種だった。最初はサイドハンド右腕のイム・ギョンワンだったが、打たれ始めるとベテランのチェ・ヒャンナムとなり、終盤は外国人コルテスが抑えとなったが徐々に相手チームに慣れられ、誰1人として10セーブ以上をあげられなかった。中継ぎはそれなりに駒がそろい、特に左腕カン・ヨンシクはチーム最多の64試合に登板し、自己最多タイの6勝を記録し、野球人生最高の1年となった。その他ペ・ジャンホ、キム・イリョプなどの若手も中継ぎとして台頭してきた。
 守備面では若き正捕手カン・ミンホがリード面でも大きく成長し、韓国を代表する捕手へと成長していった。また華麗な守備で女性人気が高いパク・キヒョクも自己最高の打撃成績を残した。


 2008年のプロ野球人気を支えたのは、熱狂的なファンに支えられたロッテだった。しかしその強さはロイスター監督の手腕というより、過去2,3年の間に主力へ成長した選手たちが軒並み好調で、ガルシアという近年まれに見る当たり外国人を引き、故障者も少なかったなど瞬間最大風速的な印象があり、本当に低迷から抜け出したのかは2009年の結果次第で明らかになるといえよう。
 フロントも2009年が勝負の年と思ったか、トゥサンからFAでホン・ソンフンを移籍させ、打線の強化を図った。また打点王ガルシアとも早々と再契約した。ファンの悲願である17年ぶりの韓国シリーズ優勝のためには、戦力補強だけでなく、選手層を厚くするため若手の台頭も必須である。一時的な勢いだけでは頂点の座はつかめないことは、サムソンとの準プレーオフであっけなく敗れてしまったことで証明された。プロ野球全体の観客動員数を大きく左右するだけに、2009年もロッテの浮沈に全国の注目が集まるだろう。

(文責 : ふるりん