DAILY KOREAN PRO BASEBALL 2

1982年に発足し、2024年時点で10球団が加盟する韓国野球委員会(KBO)による韓国のプロ野球リーグ(通称KBOリーグ)に関するブログ。レギュラーシーズン、ポストシーズン(韓国シリーズなど)の試合速報や球団別の情報、現役プロ選手が含まれる野球韓国代表が出場する国際大会の情報などもお伝えします。 twitter : @kbodigest

  第3回 トゥサンベアーズ

「広い蚕室での豪快なホームラン野球に変身」 
2010年成績 : 73勝57敗3分け(プレーオフ敗退)
チーム総合採点…70点


 2010年で7年目となったキム・ギョンムン監督の長期政権が続くトゥサンベアーズ。2006年以外は毎年ポストシーズン進出と安定した成績を残し、優秀な若手選手たちが次々と台頭しチームには活気が満ちあふれているが、頂点に届くほどの実力もないという状態を続けている。開幕前には例年通り、優勝候補SKの有力な対抗馬と見られていた。

 3月27日、キアとの本拠地・蚕室野球場での開幕戦は、新外国人ヒメネスの好投もあり8−3で快勝し開幕4連勝と好スタートを切った。4月4日から引き分け1つをはさんで5連勝と首位を走り、蚕室野球場が超満員となった4月17日のロッテ戦を終え、12勝3敗1分けと首位をキープしていた。しかしここから4連敗し、4月20日SKとの直接対決に敗れ首位の座を譲った。だが4月24日のサムソン戦で、ヒメネスの好投で勝利しその後5連勝したが、負けを知らないSKの勢いはとまらずその差をつめられなかった。
 5月になるとサムソンとの2位争いが激化し、11日の直接対決で敗れいったん3位に後退したが、12,13日と連勝し2位の座を守った。だが16日から4連敗し首位SKを追いかけることはできなかった。なお、この時点でヒメネスはすでに7勝をあげ最多勝争いに加わり、チームの先発の軸となっていた。逆にヒーローズからトレードで移籍し先発として期待されていた左腕イ・ヒョンスンは不振でローテーションを外れ、代わりにもう1人の外国人投手の左腕ウォーランドが好投を見せるようになった。また、リリーフ陣からイム・テフンが先発に転向した。
 5月30日から6月2日までサムソンと同率2位に並ばれたが、3日のネクセン戦で好調イ・ソンヨルの本塁打などで快勝し突き放した。このころはチェ・ジュンソクが首位打者争いをするなど、2010年のトゥサンは打撃のチームとなっていた。6月は25日からの6連勝と夏場に向けてSK追撃体制をとるかと思われたが、一時期調子を落として勝率5割を切っていたサムソンが息を吹き返し、その差は徐々に縮まっていった。
 7月3,4日の首位SKとの直接対決で連敗すると、3位サムソンは10連勝とトゥサンのすぐそこまで迫ってきていた。そして10日のLG戦で6−16と大敗し、2位の座をついにサムソンへ譲ってしまった。そして13日、敵地・大邱での直接対決3連戦でも勢いの差がそのまま出たか1勝2敗と負け越し、その差は広がってしまった。当時4位ロッテは勝率4割台後半であり、2位争いは勝率5割台後半のトゥサン、サムソンだけに絞られつつあり、7月は激しいつばぜり合いが続き、18日のロッテ戦からオールスター戦をはさんで6連勝と波に乗ったが、2位の座を奪還できなかった。特に7月29日、7位ネクセン相手に引き分けてしまって連勝が止まったのが痛く、8月になると雨天中止の試合も多く下降線をたどり始めた。
 停滞気味のチームで光っていたのは、軍から除隊されたばかりで過去にほとんど実績のなかった若手捕手ヤン・ウィジだった。4月から先発マスクをかぶる機会が増え、打撃の才能も開花し8月15日のSK戦からは5試合連続本塁打を記録する活躍を見せ、新人王の最有力候補に躍り出た。しかしチームは2位サムソンとの差も縮まらず、かといって4位ロッテは勝率5割前後をうろうろしていたため、3位に安住しているかのように思えた。さらに9月6日、守護神イ・ヨンチャンがひき逃げ事故を起こし、このあと公式戦残り試合の出場停止処分を受けるアクシデントもあった。結局9月22日、蚕室野球場でのダブルヘッダー第1戦でSKに大敗し目の前で公式戦優勝の胴上げを見せられ、下り坂のまま公式戦を3位で終えた。
 
 ポストシーズンは2年連続で準プレーオフからの進出となり、その相手も2年連続でロッテだった。公式戦4位ロッテは終盤好調でトゥサンとは対照的であり、三冠王イ・デホを軸とした打線が爆発すると手のつけられない嫌な相手であった。しかも公式戦では7勝12敗と負け越していた。9月29日の第1戦は、満員の蚕室野球場での熱戦となり、8回を終えて5−5の同点だったが、9回表中継ぎの柱チョン・ジェフンが打たれてしまい、5−10で敗れた。第2戦も9回を終えて1−1の接戦で、試合は延長に突入したが、10回表またもやチョン・ジェフンが打たれ、イ・デホの決勝3ランで1−4と敗れてしまった。
 3敗したら終わってしまう準プレーオフでもうあとがなくなったトゥサンだが、近年ポストシーズンで勝った経験がないロッテとの地力の差をここから発揮しだした。敵地釜山に移った第3戦も先制される苦しい展開だったが、相手の自滅もあり逆転すると、リリーフに回ったウォーランドの好投もあり6−5で接戦を制した。第4戦も終盤まで接戦となり、6回表この準プレーオフで活躍した控え捕手ヨン・ドカンのタイムリーで3−2と1点を勝ち越すと、9回表チョン・スビンの3ランなどで8点を奪い突き放し、その裏2点を返されたが11−4で大勝し、決着は第5戦にもつれこんだ。
 蚕室野球場に戻った第5戦は完全に勢いがトゥサンに乗り移り、3回までに7−1とリードを奪うと、キム・ソヌ、コ・チャンソン、ウォーランド、チョン・ジェフンの継投で、またもや11−4で勝ち、崖っぷちからの3連勝で4年連続のプレーオフ進出を決めた。左腕ウォーランドのリリーフ起用、不調の正捕手ヤン・ウィジに代わるヨン・ドカンの起用、打撃不振のキム・ヒョンスにチャンスでバントを命じるなど、キム・ギョンムン監督の柔軟な采配が勝利を呼び込んだ。

 プレーオフの相手は、2位争いで勝てなかったサムソンで、5試合すべてが1点差という準プレーオフ以上の激闘となった。敵地・大邱での第1戦は先発ホン・サンサムが打たれ先制を許したが、キム・ドンジュの2ランやチェ・ジュンソクのタイムリーで5−2と逆転した。しかしチョン・ジェフンが8回裏逆転を許し、5−6で敗れた。第2戦は2度の雨天中断があったが、先発ヒメネスが好投し、キム・ドンジュのタイムリーなどで先行すると、最後は何とかイム・テフンが抑え4−3で接戦を制した。
 舞台を本拠地・蚕室野球場に移した第3戦は、両チームともに投手陣や守備がしっかりせず6−6の同点のまま延長戦に突入した。延長11回表2点を勝ち越されたが、その裏粘るトゥサンはイム・ジェチョルの2点タイムリーで同点に追いつき、ソン・シホンのタイムリーで9−8のサヨナラ勝ちを収め、韓国シリーズ進出に王手をかけた。しかし第4戦は5回までに7点を奪われる苦しい展開で、7回裏7−7の同点に追いついたものの、1点を勝ち越され7−8で敗れ、決着は第5戦にもつれこんだ。
 また敵地・大邱へと乗り込んだ第5戦、トゥサンは2回表一気に5点を先制したが、4回裏2点を返されたところでヒメネスに指の異常があり降板すると、流れが一気にサムソンへと傾いた。このあとウォーランド、コ・チャンソンの中継ぎ陣が打たれ5−5の同点に追いつかれると、試合はサムソンのチャン・ウォンサム、トゥサンのイ・ヒョンスンの投手戦となった。だがトゥサンはチャン・ウォンサムの前にまったくチャンスすら作れず、途中から投手をイム・テフンに交代させこのまま延長戦に突入したが、延長11回裏イム・テフンがサヨナラタイムリーを浴び5−6で敗れ力尽き、2010年の戦いは終わった。
 ポストシーズンで公式戦の順位が上だった相手に先手を取るものの、あとで地力の差を見せ付けられ結局は敗れるというパターンを、2007年SKに韓国シリーズで敗れてから4年連続で繰り返してしまった。特に毎回主力打者の誰かが大変な不調に陥るのが問題で、今回は公式戦中本塁打、打点とチーム打撃2冠王だったキム・ヒョンスが準プレーオフからまったくの打撃不振だった。2010年はポストシーズン通算で26打数3安打、打点0と散々な成績に終わり、ブレーキ役となってしまった。
 
 投打の成績を振り返る。
 チーム防御率は4.62と8球団中5位で、決して頼りになるとは言えなかった。先発投手の防御率は4.89と比較的高く、ヒメネス(14勝)、元メジャーリーガーのキム・ソヌ(13勝)の右腕2人が先発投手陣の軸だった。ただ3番手以降が心もとなく、シーズン途中リリーフから転向したイム・テフン(8勝)、左腕の外国人投手ウォーランド(7勝)が目立つ程度だった。2009年9勝をあげて台頭した若手ホン・サンサムは4勝にとどまり、期待を裏切った。
 代わりにリリーフ陣の防御率は4.25と、あまり層は厚くなかったが比較的健闘した。その軸となったのがチョン・ジェフン(23ホールド)、コ・チャンソン(22ホールド)の中継ぎ右腕2人で、それぞれホールド数8球団中1,2位となっていた。また先発として期待されたが結果を残せなかった左腕イ・ヒョンスンも、シーズン後半は貴重な左の中継ぎとして好投した。2009年新人王、最多セーブのタイトルを獲得したイ・ヨンチャンも、シーズン終盤不祥事で離脱したが25セーブと結果を残したが、セーブ失敗4回と隙がなかったわけではない。
 SK、サムソンの上位2球団と比べて見劣りする投手陣を補ったのが打撃陣で、チーム打率.281は8球団中2位、本塁打数148は2位、得点731も2位と、かなりの強力打線が形成されていた。打撃タイトル争い上位に顔を出す選手は少なかったが、センター125mと広い蚕室野球場を本拠地としてキム・ヒョンス、イ・ソンヨル(ともに24本)、チェ・ジュンソク(22本)、キム・ドンジュ、ヤン・ウィジ(ともに20本)と、20本塁打以上の選手が5人出る破壊力満点の威容を誇っていた。
 それゆえに攻撃は比較的大味で、2007年から08年まで「陸上部」の異名をとっていた盗塁を多く仕掛ける攻撃野球とはスタイルが大きく変化してしまった。2010年のチーム盗塁数128は8球団中5位にとどまっていたが、オ・ジェウォン(35個)、イ・ジョンウク(30個)の2人の快足は健在だった。特にコ・ヨンミンから完全にセカンドのレギュラーを奪ったオ・ジェウォンは自己最高の成績を残し、成長が目覚しかった。大味な野球は犠打数(犠牲フライを除く)54個と、8球団最少となっていることにもよく現れている。
 守備面では、ここ数年チームの弱点だった捕手にヤン・ウィジが登場し、一気にレギュラーの座をつかみ20本塁打、68打点と打撃面でも結果を残して見事新人王を受賞したのが最大の収穫だった。またショートのレギュラーのソン・シホンは安定した守備でチームを支えた。

 オフシーズンの動向であるが、何と言っても2010年チーム最多勝だった外国人投手ヒメネスが、日本プロ野球東北楽天へ移籍してしまったのが話題を呼んだ。代役となる外国人選手は、1人が2010年まで米国・メジャーリーグで活躍していた右腕ニッパートに決まったものの、1月13日現在もう1人は未定である。2009年から2010年まで日本プロ野球東京ヤクルトに在籍していた左腕イ・ヘェチョンが3年ぶりに復帰することとなり、左腕不足のチームにとっては朗報となった。
 2011年はキム・ギョンムン監督にとって契約最終年となり、今度こそ2001年以来となる10年ぶりの優勝を意気込んでいることであろう。しかし投手陣を中心に、優勝するとなればやや選手層が薄い部分があり、得意の若手の起用でチームにさらに勢いをつけたいところである。

(文責 : ふるりん