DAILY KOREAN PRO BASEBALL 2

1982年に発足し、2024年時点で10球団が加盟する韓国野球委員会(KBO)による韓国のプロ野球リーグ(通称KBOリーグ)に関するブログ。レギュラーシーズン、ポストシーズン(韓国シリーズなど)の試合速報や球団別の情報、現役プロ選手が含まれる野球韓国代表が出場する国際大会の情報などもお伝えします。 twitter : @kbodigest

  第8回 LGツインズ

迷走する人気球団 

2008年成績 : 46勝80敗(公式戦最下位)

 現代を4度の韓国シリーズ優勝に導き、現役時代はMBC(LGの前身)でショートとして活躍し有力OBだった名将キム・ジェバクを新監督に迎えた2007年は、ベテラン勢の活躍もありここ5年間では最高の5位で終えた。低迷するソウルの人気球団は、キム・ジェバク体制2年目ということでは勝負の年として期待されたが、2006年から2年間サムソンで先発として活躍した新外国人投手ブラウン(元阪神)以外に目立った補強はなかった。

 3月29日の王者SKとの開幕戦は延長戦で敗れたが、翌30日のSK戦でシーズン初勝利をあげた。しかし4月1日からの本拠地・蚕室でのサムソンとの地元開幕3連戦から4日のロッテ戦まで4連敗するなど、本拠地6連戦で1勝5敗と負け越し大きくつまずき最下位争いを続けた。15日のキア戦まで3連勝し6位に浮上したが、投打ともに決め手を欠き勝率5割には届かず、4月は12勝16敗の7位に終わった。
 5月は10日のハンファ戦まで、1990年の球団創設後最悪となる9連敗となり、キアに抜かれ最下位の泥沼に陥った。そこで開幕からわずか1勝しかあげられなかったブラウンを退団させ、日本プロ野球で2度の本塁打王やシーズンMVPに輝いた大物外国人野手ペタジーニ(元読売)と契約し、巻き返しを図った。ペタジーニの加入で少し調子が上向き23日のキア戦で勝利しキアを抜いて7位に復帰したが、翌24日のキア戦に13−15の乱打戦で敗れると1日で最下位に後退した。その後はヒーローズとの最下位争いが続き、5月は9勝18敗と大きく負け越した。その中で韓国2年目の外国人投手オクスプリング(元阪神)が5月までに5勝をあげ、孤軍奮闘していた。
 6月1日のハンファ戦にオクスプリングの好投で勝利し最下位を脱出したが、12日のSK戦まで6連敗しまた最下位に後退した。翌13日には1日で7位に戻ったが、25日のサムソン戦まで2008年2度目の9連敗となり最下位に沈むと、再び浮上することはなかった。26日のサムソン戦に20−1と打線の爆発とエースのポン・ジュングンの好投で大勝したのがせめてもの慰みだった。だが翌27日のヒーローズ戦で完封負けを喫するなど浮上のきっかけをつかめず、6月は4勝18敗と大きく負け越し、6月末の時点で7位ヒーローズと7ゲーム差、勝率.325と絶望的な数字ばかり並んだ。
 7月になっても10日のトゥサン戦まで4連敗と波に乗れなかったが、13日サムソンとの3連戦で3連勝するなど復調の兆しが見えた。しかし投打ともに層が薄く4連勝以上の大型連勝ができず、直後に3連敗するなど上昇気流に乗れなかった。7月後半は雨天中止が続き、29日のキア戦までまたも4連敗となり、7月は8勝12敗とまたもや負け越し、北京五輪中断期間に入る7月末で7位ヒーローズとは8.5ゲーム差と、公式戦残り30試合を切ったこともあり、シーズン最下位が濃厚になってきた。
 
 最下位を独走するチームには韓国代表に選ばれるような目立った成績を残した選手は少なく、金メダルを獲得した北京五輪韓国代表には、LGからは左腕ポン・ジュングンのみが選ばれた。ポン・ジュングンは予選リーグのアメリカ戦、台湾戦の2試合に先発したが、2試合ともに内容が悪く5回途中で降板し勝利に貢献できず、あまり目立たなかった。

 8月26日の公式戦再開後は7位ヒーローズの低迷もあって、9月10日のハンファ戦で3連勝し3.5ゲーム差まで迫った。14日の直接対決で勝利し2.5ゲーム差まで縮めたが、とらえきることができず、10月1日のトゥサン戦に勝ったものの2年ぶり2度目のシーズン最下位が確定した。4日のロッテとの2008年最終戦ポン・ジュングンの好投などで完封勝ちし、本拠地・蚕室野球場のファンたちに最後の意地を見せた。北京五輪後は13勝15敗と、以前と比べれば勝ちパターンが確立され、2009年シーズンに希望を持たせた。


 投打の成績を振り返る。

 投手陣は、チーム防御率4.85、646失点ともに8球団中最悪の数字だった。先発、リリーフともに層が薄く、2007年トゥサンからFA移籍し10勝をあげたパク・ミョンファンが4月中に故障で戦線離脱し、1勝もできなかったのが響いた。その代わりエースに成長したのが元メジャーリーガーの左腕ポン・ジュングンで、チーム最多の11勝をあげ、韓国2年目にしてその実力を発揮した。右のエースは韓国2年目の外国人投手オクスプリング(元阪神)で、10勝をあげ1年を通して先発ローテーションを守りきった。
 ただ先発3番手以降が頼りなく、開幕1軍に残った高卒新人チョン・チャンホンは、当初中継ぎで好投していたがチーム事情により先発で起用されるようになり、3勝したがシーズン途中から11連敗と、13敗を喫し最多敗戦投手となった。散々なプロ1年目だったが、この屈辱を2009年につなげたい。その他の若手投手では、高卒新人イ・ボムジュンが3勝し期待を抱かせた。また先発として期待されたシム・スチャンも、不振で6勝にとどまった。
 リリーフ陣では抑えの切り札不在に悩まされた。2007年30セーブをあげたサイドハンドの守護神ウ・ギュミンが不調で、5月からセーブに失敗する場面が目立ち、10セーブしかあげられずチームの低迷の一因を作った。終盤はそれまで中継ぎとして活躍してきたチョン・ジェボクが抑えに定着し13セーブをあげ、チーム状態も上向きとなった。左の中継ぎではシーズン途中入団のオ・サンミンが38試合に登板し安定した投球内容を見せたが、右の中継ぎの切り札が少なく、抑えから転向したウ・ギュミン、キョン・ホンホなどが日替わりで起用された。
 
 打線もチーム打率.256、468打点は8球団中最悪の数字で、チーム本塁打66本は7位と、迫力不足は明らかだった。投打ともにこの成績では最下位も当然であり、8球団で唯一4連勝以上の大型連勝がなかった。
 低迷したチームにあって、快足の1番打者イ・デヒョンはチーム唯一の126試合に出場し、2007年の53盗塁を上回る61盗塁で2年連続の盗塁王に輝いた。打線の軸は2007年と変わらず37歳のベテランのチェ・ドンスで、チーム最多の14本塁打、62打点を記録した。5月に途中入団したペタジーニは、本拠地・蚕室野球場が広いこともあり7本塁打にとどまったが、打率.347と安定した数字を残した。またこれまで実力を発揮できていなかったプロ7年目のアン・チヨンが、外野のレギュラーに定着すると自己最多の101試合に出場し勝負強い打撃でチームに貢献した。
 また2007年まで3年連続126試合を達成していた主力のパク・ヨンテクが、故障もあり96試合にしか出場できず、例年より成績を落としたのが痛かった。若手野手では、かつてのLGの主力で現在日本プロ野球・中日で活躍する外野手と同名のイ・ビョンギュが、2軍で打率4割を記録すると終盤1軍での外野での出場機会が増え話題を呼んだ。
守備では自己最多の116試合に出場したパク・キョンスが、セカンドのレギュラーに定着し、ベテランのクォン・ヨングァンなどと二遊間を組んだのが最大の収穫だった。正捕手チョ・インソンは2007年にFAで複数年契約を結んだが、2008年は攻守ともに精細を欠きベテランのキム・ジョンミンに出番を譲ることが目立った。


 このように投打ともに悲惨な状態にあった2008年からの巻き返しを図るため、3年契約を結んで言うキム・ジェバク監督の最終年度にあたる2009年に向けて、オフには大胆な動きが見られた。まず韓国を代表する大型外野手イ・ジニョンが、SKからFAを行使し移籍した。さらに弱点だったサードの補強として、現代、ヒーローズでサードのレギュラーとして活躍していたチョン・ソンフンもFAで移籍し、大物野手2名を獲得しオフの話題をさらった。またオクスプリング、ペタジーニの両外国人選手とも再契約を結んだ。
 豊富な資金にまかせて大物選手を補強することが目立つLGだが、生え抜きの主軸となる選手がなかなか育たないため、安定した戦力を築き上げることができず、それがここ5年以上の低迷を招いてしまっている。現に2008年も今後チームの屋台骨となりそうな若手の目覚しい活躍は少なかった。特に育成の難しい捕手の人材不足は深刻だ。チームの強化のためには補強も必要であるが、それ以上に経営陣が場当たり的な補強ではなく定見を持ち、2軍を中心とした育成の充実が図られるべきではないだろうか。このままだと毎年同じことの繰り返しで、地元ソウルのファンも完全に見放し、長年その座を占めてきたが2008年ロッテに奪われた観客動員数1位の座に返り咲くことも難しくなるかもしれない。

(文責 : ふるりん