DAILY KOREAN PRO BASEBALL 2

1982年に発足し、2024年時点で10球団が加盟する韓国野球委員会(KBO)による韓国のプロ野球リーグ(通称KBOリーグ)に関するブログ。レギュラーシーズン、ポストシーズン(韓国シリーズなど)の試合速報や球団別の情報、現役プロ選手が含まれる野球韓国代表が出場する国際大会の情報などもお伝えします。 twitter : @kbodigest

  第4回 サムソンライオンズ


着々と進む世代交代

2008年成績 : 65勝61敗 公式戦4位 プレーオフ敗退

 ソン・ドンヨル監督(元中日)の指揮の下、2005,06年と韓国シリーズ2連覇を達成しながら2007年は4位に終わったサムソンにとって、2008年シーズン最大の目標は「世代交代」だった。特に主力打者が軒並み30歳代となっていて、若手野手の台頭が急務だった。そのため春季キャンプでは、2軍リーグで活躍していたパク・ソンミン、チェ・ヒョンウ、その他新人選手に注目が集まった。オフには2007年ハンファで打率3割、22本塁打を記録したクルーズと契約し、打線の強化を図っていた。また手薄な先発陣には手術後のリハビリから復帰したかつてのエースであるペ・ヨンス、米国メジャーリーグで実績のある新外国人オバミュラー(元オリックス)が加わり、2年ぶりの王座奪回も夢ではないと開幕前の評価は高かった。

 3月29日の本拠地・大邱でのキアとの開幕戦に勝利すると、4月5日のLG戦まで開幕5連勝と波に乗った。4月前半はSK、ロッテなどとの首位争いに残っていたが、15日から17日までのSKとの3連戦で3連敗し、23日のトゥサン戦まで4連敗し勝率が5割を割るなど、打線の不振もあり調子を落としていった。4月下旬には不振だった2007年の本塁打、打点の2冠王シム・ジョンスを2軍に降格させ、打線のてこ入れを図った。4月は14勝13敗の4位で終わり、首位を独走しだしたSKとのゲーム差は6.5まで開き、混戦の2位争いを演じることになった。

 5月は一進一退の状況が続き、7日ハンファに抜かれ5位に後退し、投打ともに決め手がなく勝率5割前後をうろうろしていた。21日には期待通りの成績をあげられなかったクルーズを退団させた。すると打線の爆発もあって24日のハンファ戦に勝ち4位に復帰すると、プロ入り後初めて不振で2軍に降格していた大打者ヤン・ジュンヒョクの復帰もあって、31日のSK戦まで5連勝した。5月は15勝11敗と勝ち越し、何とか混戦の2位争いに踏みとどまった。
 6月になってまた調子を落としてしまい、11日のハンファ戦に敗れ5位に後退し12日まで4連敗となった。さらにパク・ソンミン、チェ・ヒョンウなど若手野手は活躍するものの投手陣の崩壊もあり22日のSK戦まで5連敗と、勝率5割を下回り4位以上のチームとのゲーム差が開いていった。さらに26日は最下位LG相手に20失点で大敗と、ふがいない試合が続いた。6月は8勝15敗と大きく負け越し、首位SKとは16.5ゲーム差がついてしまい、4位ハンファとは3ゲーム差で、シーズンの目標を公式戦4位以上、ポストシーズン進出に修正せざるを得なくなってきた。

 7月になってもなかなか調子が上がらず、序盤最下位に沈んでいたキアが調子を上げ、サムソンのすぐ背後まで迫っていた。そして15日のヒーローズ戦に敗れ4連敗で、ついにキアに抜かれ6位にまで後退してしまった。すると翌16日期待通りの活躍ができていなかったオバミュラー、クルーズの代役として5月末に入団したが1勝もできなかった外国人投手シャーンを退団させ、沈滞ムードの刷新を図った。すると17日には5位の座を奪い返し、20日のハンファ戦まで久しぶりの5連勝と調子を取り戻してきた。さらに24日のキア戦に勝ちロッテを抜いて4位に浮上し、29日のSK戦で勝利し勝率5割に戻した。結局7月は調子を上げてきた4位ロッテと0.5ゲーム差の5位で終わったが、最後は5連勝で終え13勝10敗と勝ち越し、北京五輪の中断期間に入った。

 金メダルを獲得した北京五輪韓国代表には、サムソンから4名の選手が出場した。クォン・ヒョクは左のワンポイントとして活躍した。チン・ガビョンは豊富な経験を買われ、先発マスクをかぶることが多かった。パク・チンマンも韓国一のショートに恥じない安定した守備を披露した。抑えとして活躍が期待されたオ・スンファンは体調不良で、予選リーグ2試合のみの登板にとどまり準決勝や決勝などの大一番では起用されなかった。

 北京五輪後、8月28日まで五輪前からの連勝を8に伸ばしたが、29日から31日までの絶好調ロッテとの3連戦で3連敗し、4位以上とのゲーム差が開いてしまった。だが調子の落ちてきたハンファを捕らえ、9月7日の直接対決で勝ち4位に浮上した。直接対決で勝てなかったこともありトゥサン、ロッテには追いつくことができなかったが、9月28日のトゥサン戦に勝利し、公式戦4位以上を確保し1997年以来12年連続ポストシーズン進出を決めた。北京五輪後の公式戦は15勝12敗と勝ち越し、7月中旬までの沈滞ムードから脱して公式戦4位となり、ポストシーズンは3位ロッテとの準プレーオフから出場となった。

 準プレーオフは投打ともに戦力で勝るロッテ有利との下馬評だったが、勢いで突っ走ってきただけで9月後半から調子の落ちていたロッテは、経験豊富なサムソンにとって組しやすい相手だった。10月8日の敵地・釜山での第1戦は、エースの先発ペ・ヨンスが好投し今季大きく成長した若手パク・ソンミンの爆発により、12−3で大勝した。第2戦は接戦となったが、チョン・ヒョヌク、守護神オ・スンファンなどのリリーフ陣がしのぎ、4−3で連勝しプレーオフ進出に王手をかけた。続く本拠地・大邱に戻っての第3戦は、7回表まで2−4とリードされていたが、ヤン・ジュンヒョクの同点2ラン、チョ・ドンチャンの逆転タイムリーで6−4と勝利し、3連勝でプレーオフ進出を決め、ロッテとの地力の差を見せ付けた。

 10月16日からのプレーオフの相手は、公式戦2位のトゥサンで、準プレーオフを3試合で終わらせたこともあり疲労を回復させプレーオフに臨むことができたので、サムソン有利の声も聞かれた。敵地・蚕室での第1戦は、3回まで4−0とリードしながら逆転され、4−8で敗れた。第2戦は4−4のまま延長戦に突入し、14回表代打シン・ミョンチョルのタイムリーなどで3点を勝ち越し、7−4で勝利した。本拠地・大邱に戻った第3戦は、パク・ソンミン、チェ・ヒョンウなど若手打者の活躍で6−2と勝利し、一歩リードした。
 先発投手陣のコマが足りないサムソンは、次の第4戦に今季先発として信頼されていたとは言えないベテランのイ・サンモクを先発させたが、1回だけで5失点ノックアウトなど試合の主導権を握られてしまい、6−12で敗れた。そして第5戦では先発ペ・ヨンスが5失点でノックアウトされ、反撃も及ばず4−6で連敗となった。舞台を敵地・蚕室に移した第6戦は、トゥサンの継投の前に打線が抑えられ、2−5で敗れ3連敗となり、2勝4敗でプレーオフ敗退が決定し、2年ぶりの韓国シリーズ進出はならなかった。第4戦以降ヤン・ジュンヒョク、チン・ガビョンなどベテラン選手に疲れが見え、打線がつながらなくなってしまった。しかし公式戦中盤の停滞から抜け出し、プレーオフまで進出し上位のトゥサン相手に健闘した姿は賞賛に値する。

 投打の成績を振り返る。
 投手部門について、チーム防御率は4.40(8球団中5位)、596失点(同6位)と、SK、トゥサン、ロッテの上位3チームと比べ見劣りした。特に先発投手陣の層が薄くやりくりに苦しんだが、今季中継ぎから先発に転向したユン・ソンファンがチーム最多タイの10勝をあげ、チームの救世主となった。今季復活を遂げたペ・ヨンスも、規定投球回数には達しなかったがシーズンを通してローテーションを守り、9勝を記録した。また右腕イ・サンモク、左腕チョン・ビョンホのベテラン2名も6勝ずつをあげた(2名ともオフに自由契約)。オバミュラー(6勝)、シャーン(0勝)、エニス(1勝、8月に入団)の3名の外国人投手で、シーズンを通して戦力となった選手がいなかったのが響いた。
  先発の層が薄い分は、比較的層の厚いリリーフ陣がカバーした。絶対的な守護神オ・スンファンは、3年連続40セーブの偉業はあと1つで逃したが、今季も39セーブをあげ3年連続セーブ王となった。特に奮闘したのはロングリリーフで活躍し規定投球回数に達したチョン・ヒョヌクで、チーム最多タイの10勝を記録した。その他リリーフの右腕ではアン・ジマン(5勝)、左腕ではクォン・ヒョク(6勝)、チョ・ヒョングン(1勝)などが活躍した。

 打線に関しては、チーム打率.258(8球団中5位)、92本塁打(同3位)、557得点(同5位)と、可もなく不可もなくの成績だった。特筆すべきは左のチェ・ヒョンウ、右のパク・ソンミンの若き主軸打者である。これまで無名だったチェ・ヒョンウは19本塁打、71打点とチームの2冠王となり、警察庁で公務に服していた2年間を除くとプロ5年目、25歳での史上最年長での新人王を受賞した。軍から除隊されたパク・ソンミンは、やや安定感にかけたがサードのレギュラーを確保し、14本塁打、64打点とシーズンを通して結果を残した。また米国マイナーリーグ出身の左打者チェ・テインも、韓国2年目の今季は故障による離脱が長かったが、ファーストでの出場機会が増え、10本塁打、42打点を記録した。
 それとは対照的に、ベテランの大選手たちにはかげりが見えた。今季プロ16年目にして負傷以外の理由で2軍へ降格した大打者ヤン・ジュンヒョクは、打率こそ.278まで戻したが8本塁打に終わり、プロ入り後15年連続で続いていた2ケタ本塁打記録が途切れた。2009年に40歳となるため衰えが見えはじめているようで、あと1本と迫った通算本塁打数のタイ記録(340本塁打)の達成が待たれる。また通算328本塁打の強打者シム・ジョンスも、4月に2軍へ降格しひざの手術を受けたが回復が思わしくなく、オフに現役引退を発表した。大物選手が集まったサムソンも、特に野手ではチェ・ヒョンウを中心とした20代の選手が主軸となりつつあり、着々と世代交代が進んでいる。だがチーム盗塁数が59と8球団中最小で、2ケタ盗塁を記録した者が出なかったことなど、比較的盗塁の多い現在の韓国プロ野球において機動力不足が深刻である。
 守備面では内野だと韓国ナンバー1ショートと名高いパク・チンマン、外野ではパク・ハニ、キム・チャンヒィのベテラン勢が安定したプレーを披露した。正捕手チン・ガビョンは今季も不動で、チームの精神的支柱だった。

 2008年は韓国シリーズ優勝こそならなかったが、今後に向け収穫の多いシーズンだった。しかしそれに水を差すかのように、オフの話題は、ヒーローズからチャン・ウォンサムを30億ウォンで事実上金銭トレードにより獲得しようとしたが他球団の反対により取り消され、一部の選手が賭博容疑で検察の捜査を受け罰金を課されるなど、イメージダウンとなる事件が続いた。そのため2009年の春季キャンプは海外ではなく、大邱郊外の自軍の練習場で実施しようとしたが、結局例年より規模を縮小してグアムには行かず、1月末からの沖縄キャンプのみ予定している。
 また補強としては最大の課題である先発投手陣の強化のため、エルナンデス、クルセタの2名の外国人投手と契約した。サムソンは2009年も世代交代をさらに進め、王座奪回へと余念がなく、5年契約の最終年となるソン・ドンヨル監督にとっても勝負の年となるため、結果が求められる。

(文責 : ふるりん)