DAILY KOREAN PRO BASEBALL 2

1982年に発足し、2024年時点で10球団が加盟する韓国野球委員会(KBO)による韓国のプロ野球リーグ(通称KBOリーグ)に関するブログ。レギュラーシーズン、ポストシーズン(韓国シリーズなど)の試合速報や球団別の情報、現役プロ選手が含まれる野球韓国代表が出場する国際大会の情報などもお伝えします。 twitter : @kbodigest

  第4回 サムソンライオンズ

2007年成績 : 62勝60敗4分 公式戦4位 準プレーオフ進出

 ソン・ドンヨル監督のもと2005,06年と球団史上初の韓国シリーズ連覇を達成し、黄金時代を築いていた王者サムソンだが、開幕前から下馬評は決して高くはなかった。オフにひじの手術を受け今季はリハビリに当てる韓国人エースのペ・ヨンスの不在、主力野手の高齢化が進む中若手野手の台頭が見られないなど、チームに停滞感が漂っていたからである。また示範競技(オープン戦)も調子が上がらず4勝7敗1分けで6位に終わっていた。

 地元大邱(テグ)でのトゥサンとの開幕3連戦は2勝1敗と勝ち越し、4月中は開幕ダッシュに成功し首位を走り出したSKを追走し、2006年と同じく徐々に調子を上げ5月上旬にはSKを捕らえるかに思われた。ところが4月末に3連敗し4月を10勝9敗と貯金1で終えると、5月になっても連敗は止まらず5日には7連敗で単独最下位にまで転落した。
 2006年チーム最多勝の12勝をあげたがLGに移籍した外国人投手ハリッカラの後釜として獲得した新外国人ウィルソンが大誤算で、わずか1勝しかあげられず5月半ばに退団した。ショートの守備の要パク・チンマン、セットアッパーとして韓国シリーズ連覇を支えたクォン・オジュンなど主力選手が故障や負傷で2軍落ちし、チーム状態は最悪だった。カンフル剤として左腕の新外国人投手マゾーニが入団した。
 5月後半は首位から最下位まで僅差の大混戦が続き、サムソンは24日首位SKに勝ち勝率5割に復帰し4位にまで浮上した。だが5割の壁を突破できず、5月は9勝12敗と負け越し首位ハンファと4ゲーム差の5位で終わった。上昇気流に乗れないチームとは対照的に、38歳の大打者ヤン・ジュンヒョクは首位打者本塁打王争いに加わり開幕から絶好調で、史上初の2000本安打達成が目前となった6月上旬はチームの5連勝にも貢献し、9日のトゥサン戦で大記録を達成した。

[2000本安打の偉業を達成したヤン・ジュンヒョク。]
 だがチームはなかなか上位には進出できず、16日には勝率5割を切り6位に後退し、その後も5割前後をうろうろしていた。SKが首位独走態勢を固める中、6月は13勝11敗と勝ち越したが首位とは7.5ゲーム差の5位で終え、公式戦3連覇はほぼ絶望となった。7月15日のオールスター戦前の前半戦も首位SKとゲーム差9.5の5位で終わり、目標は11年連続のポストシーズン進出へと下方修正せざるを得なくなった。
 
 オールスター戦後、今季4番に復帰したシム・ジョンスが本塁打を量産し、先発投手陣は相変わらずあまり頼りにならなかったが、中継ぎ陣やリリーフの奮闘もありチーム状態はよくなり、徐々に地力を発揮しだした。8月になっても好調は続き、今季特別に設けられた7月15日から8月14日までのサマーリーグでも優勝した。MVPには本塁打、打点でトップに立ったシム・ジョンスが選ばれた。8月2日にはハンファを抜いて3位に上がり、トゥサンなどと熾烈な2位争いを続けた。8月は12勝5敗と最高の成績を収めたが、2位トゥサンを捕らえられなかった。
 8月、9月に雨天中止が相次いだせいで、サムソンの残り試合は比較的多かった。9月中ごろまでチームの好調は続き、2位トゥサンを捕らえるかに思えたが、24日のSK戦に敗れ3連敗となり4位に後退すると、25日から27日までの3位ハンファとの直接対決で3連敗し合計6連敗となり、2位争いから完全に脱落した。結局10月4日のロッテとの公式戦最終戦で4位が確定し、ポストシーズンは準プレーオフからの進出となった。結局9月後半の6連敗もあり、9月以降は7勝10敗2分けと肝心な終盤戦で負け越してしまった。ベテランが多く若手の少ない打線を中心に、チームに勢いが生まれなかった。ペ・ヨンスの穴埋めんなど、投打ともに開幕前の課題を克服できなかったのである。

 公式戦での戦いを振り返ってみる。投手陣は、チーム防御率は3.71で8球団中4位と、先発投手陣のコマ不足の割には健闘した。先発三本柱はチーム最多勝のブラウン(元阪神、12勝)、チョン・ビョンホ(8勝)、マゾーニ(7勝)だったが、3人ともスタミナ不足か5回か6回でマウンドを降りることが多く、リリーフ陣に負担がかかっていた。また先発として期待されたかつての主力投手イム・チャンヨンは精彩を欠き、わずか5勝に終わった。中継ぎ陣は右が今季兵役から復帰したユン・ソンファン、アン・ジマン、左が今季自己最多の7勝をあげたクォン・ヒョクが中心となり、クォン・オジュンの穴を埋めた。抑えには史上初の2年連続40セーブをあげたオ・スンファンが控え、前年までの王者らしく勝ちパターンは確立していた。
 打線は初の本塁打(31)、打点(101)の二冠王となった主砲シム・ジョンス、最後まで首位打者争いをした大打者ヤン・ジュンヒョク、今季打率3割をマークした守備の要パク・チンマンなど、中軸はしっかりしていたが、打率(.254)、得点(497)は8球団中最下位だった。これは1番パク・ハニの不振、衰えの明らかなキム・ハンスなどベテランの打者に頼った下位打線の弱さなどがあげられ、打線が次々とつながり畳み掛けるような攻撃ができず上位進出を逃した。また、2005年には16本塁打を打ったパンチ力のある若手打者チョ・ドンチャンが、故障などでまったく精彩を欠いていたのも痛かった。
 守備面では2006年オフ、ロッテからトレードで移籍しセカンドのレギュラーに定着し、自身初の全126試合出場を達成したシン・ミョンチョルの存在が大きかった。パク・チンマンとの二遊間に匹敵するコンビはあまり他球団では見当たらない。外野は主にレフトを守っていたシム・ジョンスの守備が悪く、やや安定を欠いたが、キム・チャンヒィ、カン・ボンギュなど実績のある選手が要所で働きを見せた。正捕手は今季もチン・ガビョンが努めた。
 チーム別の対戦成績を見ると、優勝したSKとは8勝8敗2分と互角の成績、3位ハンファには10勝8敗と勝ち越したが、6位現代には7勝11敗と負け越し、7位ロッテとは9勝9敗の五分と、下位チームに勝ち越せなかったのが痛かった。また、韓国シリーズ連覇した2005、06年のときのように、大きく勝ち越したお得意様のチームも作れなかった。
 
 ポストシーズンは、10月9日からの3位争いに敗れたハンファとの準プレーオフから出場した。敵地大田(テジョン)での第1戦は、チーム最多勝のブラウンを先発に立てたが、期待を裏切り6回までに5点を失ってしまう。打線も相手の先発リュ・ヒョンジンに抑えられてしまい、5−0で敗れた。もう後がない本拠地大邱(テグ)での第2戦は、サムソンが2回裏チン・ガビョンの本塁打で先制した。先発チョン・ビョンホは4回途中で降板してしまうが、2番手ユン・ソンファンが好投し、その後ヤン・ジュンヒョクの2ラン、シム・ジョンスのタイムリーと打線の援護も受け、最後は守護神オ・スンファンが抑え、サムソンが今度は6−0で完封勝ちし、決着は敵地大田での第3戦へともつれた。
 第3戦は先発マゾーニが1回持たず2失点してしまう苦しい立ち上がりだったが、打線もその後相手の先発セドリック(元東北楽天)から1点を返す。その後ハンファが取ってはサムソンが取り返す展開で、サムソンはリードされている場面で守護神オ・スンファンを送ったが、2本塁打を浴びリードを広げられた。打線も第1戦で先発したハンファのエースのリュ・ヒョンジンなどに抑えられ、5−3で敗れプレーオフ進出、そして韓国シリーズ3連覇に失敗した。

 まさかのシーズン4位に終わってしまったため、オフにはキム・デイクなどのベテランを含む14名の選手が自由契約となった。さらに先発として十分な働きができていないということで、ブラウン、マゾーニの両外国人も戦力外となった。ソン・ドンヨル監督はチームの改革を断行し、来季以降は特にまったく育っていない若手野手を積極的に起用する方針を見せ、ベテランの域に差し掛かりつつあったイム・チャンヨンも日本プロ野球東京ヤクルトへ移籍し、投打ともに若返りが進むと思われる。また、打線強化のために今季ハンファで活躍したが戦力外となった外国人野手クルーズと契約する方針も明らかになっている。先発陣強化のために、ロッテを自由契約となったベテランのイ・サンモクも獲得した。21世紀以降3度の韓国シリーズ優勝に輝いた元王者が、来季どのように捲土重来を計るかが注目される。
(文責:ふるりん)