DAILY KOREAN PRO BASEBALL 2

1982年に発足し、2024年時点で10球団が加盟する韓国野球委員会(KBO)による韓国のプロ野球リーグ(通称KBOリーグ)に関するブログ。レギュラーシーズン、ポストシーズン(韓国シリーズなど)の試合速報や球団別の情報、現役プロ選手が含まれる野球韓国代表が出場する国際大会の情報などもお伝えします。 twitter : @kbodigest

  第4回 キアタイガース

「エースの奮闘も故障者続出…」 
2011年成績 : 70勝63敗(準プレーオフ敗退、公式戦4位)
チーム総合採点…60点

 2009年、前身ヘテ時代以来の12年ぶりの韓国シリーズ優勝を成し遂げたが、2010年はシーズン中の16連敗もあって5位に終わった。2年ぶりの優勝を狙うため、1月末、日本プロ野球福岡ソフトバンクで活躍できなかった強打の内野手イ・ボムホと契約した。4月2日、本拠地・光州での開幕戦でエースのユン・ソンミンを援護できずサムソンに敗れたが、翌3日のサムソン戦では新戦力のイ・ボムホの活躍もあって9−8とシーズン初勝利をあげた。その後イ・ボムホは4月だけで27打点と大活躍し打線は好調だったが、イ・ヨンギュの負傷離脱やロペス以外の先発があまりよくなく、また課題の抑えも不安定で4月は11勝12敗と負け越し、5位にとどまった。
 5月になるとチーム状態は上向き、イ・ボムホだけでなく復帰した不動の1番打者イ・ヨンギュも好調で、投手陣ではソン・ヨンミンがリリーフで安定した投球を見せ、5月24日には勝率5割に復帰した。5月は14勝11敗と勝ち越し、4位で終えSK、サムソン、LGなど上位チームに食らいついていった。6月1日から9日まで8連勝すると好調LGと同率2位にまで浮上し、首位SKにせまった。6月後半になるとユン・ソンミン、ロペス、トラビスの三本柱を中心とした先発陣が安定した投球を続け、故障空けのキム・サンヒョン、ナ・ジワンなどの打者も活躍し、サムソン、SKとの上位争いが続いた。
 7月はユン・ソンミンが5勝と絶好調で、SK、LGが不調で勝率を下げる中、サムソンとのし烈な首位争いとなった。15日の敵地大邱での直接対決では、ユン・ソンミンの完封勝利でキアがシーズン初めて首位に立った。その後日替わり首位が続いたが、オールスター戦(7月23日)前を首位で終えることができた。2年ぶりの優勝へ視界良好だったが、このころが2011年のピークだったと言っていい。7月26日から28日、本拠地光州でのサムソンとの首位攻防3連戦で3連敗し、首位の座を明け渡すと2度と返り咲くことはなかった。
 6月末から8月前半にかけ、韓国は梅雨により空模様がずっと悪く、プロ野球は雨天中止が相次いだ。だがキアは雨天中止が他球団より少なく、8月になり打線を引っ張ってきたイ・ボムホが腰を痛め戦線を離脱するなど、故障者が相次ぎ苦しい戦いを強いられた。またロペス、トラビスの両外国人投手の調子も落ち、8月14日から20日まで6連敗となり、SKに抜かれ3位に後退した。その後2位に再浮上したものの、8月は10勝15敗と4月以来の負け越しとなった。
 そして9月1日、好調ロッテとの直接対決に敗れ2位の座を譲り、10日まで5連敗とSKにも抜かれ4位に後退した。8月末での試合消化数が他球団より10試合程度多く、9月以降は試合間隔が割と空いている有利な日程を生かせず上位球団を追いかけることもできなかったが、LG、トゥサンなど5位以下の球団が勢いに乗って猛追撃してくることもなく停滞していた。そして24日のトゥサン戦の勝利で公式戦4位以上が確定し、2年ぶりのポストシーズン進出が決まるとともに、ユン・ソンミンが最多勝を確実にする17勝目をあげた。29日のトゥサン戦ではハン・ギジュが好投し5年ぶりの先発勝利を記録するなど、ポストシーズンをにらんだ選手起用も見られた。


 結局キアは公式戦を4位で終え、同3位のSKと準プレーオフで対戦することになった。10月8日、敵地文鶴での第1戦は、ユン・ソンミン、SKのキム・グァンヒョンとエース同士の対決となり、8回まで1-0と接戦だったものの、9回表チャ・イルモクの満塁本塁打が出て、ユン・ソンミンも1失点で完投し5−1と快勝した。第2戦は延長11回の熱戦だったものの、2-3でサヨナラ負けとなると、本拠地光州に戻った11日の第3戦は0−2で完封負けを喫し、後がなくなってしまった。そこで第4戦は中3日でユン・ソンミンを先発させたが、3回途中3失点でノックアウトされてしまい、結局0-8で大敗し、1勝3敗で準プレーオフ敗退となった。


 2011年のキアは、チーム防御率4.10、総失点580はともに8球団中3位と、比較的投手力のあるチームだった。2010年は不注意による怪我で満足のゆく成績を残せなかったユン・ソンミンは、最多勝(17勝)、最優秀防御率(2.45)、最多奪三振(178)、最優秀勝率(.773)と個人タイトルを総なめにし、公式戦MVP(最優秀選手)にも選ばれるなど自身最高の1年となった。それに続く先発としてはロペス(11勝)、トラビス(7勝)の両外国人投手、ソ・ジェウン(8勝)、ヤン・ヒョンジョン(7勝)などがあげられる。
 だがそれと比較するとリリーフ陣が弱く、特に課題の抑えは最後まで適役が見つからなかった。チーム最多セーブはかつての守護神ユ・ドンフン、復活の兆しを見せたハン・ギジュの7セーブが最高だった。中継ぎでは右のソン・ヨンミンがリリーフだけで9勝をあげチーム最多の59試合に登板し、高卒2年目の若手シム・ドンソプは57試合に登板するなど左のリリーフの柱に成長した。
 また打撃も比較的強力で、打率(.269)、得点(627)は8球団中3位、本塁打(106)は2位だった。だがどの時期も故障者が必ずいて、主力が全員そろって活躍したことがないのが惜しまれた。8球団中唯一、公式戦に120試合以上出場したことがないチームであった(最多出場はシン・ジョンギルの116試合)。特にチーム最多の77打点を記録したイ・ボムホが8月になり離脱したことは、終盤失速した最大の原因となった。その代役の4番はナ・ジワンがつとめ、チーム最多の18本塁打を記録した。打率.315を記録した高卒3年目の若手のセカンド、アン・チホンは自身初のゴールデングラブ賞まで受賞するなど、今後チームの主軸となることを予感させた。
 2009年の優勝に貢献した右の大砲キム・サンヒョンは15本塁打、左の大砲チェ・ヒィソプは9本塁打と、故障もあってかつての爆発力は鳴りを潜めていた。プロ野球現役最年長選手(41歳)のイ・ジョンボムは外野の控えとして起用され、97試合に出場した。


 準プレーオフの敗退から1週間もたたない10月中旬、チョ・ボムヒョン監督が契約期間を1年残して辞任し、ソン・ドンヨル新監督が就任した。光州出身のソン・ドンヨル監督は1995年までキアの前身ヘテのエースとして君臨し、日本プロ野球・中日での現役引退後は2005年から2010年までライバルのサムソンの監督をつとめていた。今回の監督としてのキア復帰は光州の野球ファンが長年待ち望んでいたものであり、2012年シーズンに対する期待は非常に大きい。
 だが2011年シーズンオフ、キアは目立った補強をしなかった。ロペス(2012年シーズンはSKと契約)、トラビスの両外国人投手とは再契約せず、グラマン(元埼玉西武)、レルー(元福岡ソフトバンク)と日本プロ野球経験者のともに左腕の新外国人投手と契約した。投打の個人成績を見ても優秀なタレントはそろっていて、選手がシーズンを通して活躍すれば優勝は可能だと考えているのであろう。果たしてソン・ドンヨル監督はヘテ時代とはまったく違う姿となった古巣を率い、光州の野球ファンたちに優勝の美酒で酔わせることができるのであろうか。
 
(文責 : ふるりん)