DAILY KOREAN PRO BASEBALL 2

1982年に発足し、2024年時点で10球団が加盟する韓国野球委員会(KBO)による韓国のプロ野球リーグ(通称KBOリーグ)に関するブログ。レギュラーシーズン、ポストシーズン(韓国シリーズなど)の試合速報や球団別の情報、現役プロ選手が含まれる野球韓国代表が出場する国際大会の情報などもお伝えします。 twitter : @kbodigest

  第8回 ハンファイーグルス

どん底の中にも一縷の希望が」 
2010年成績 : 49勝82敗2分け(公式戦最下位)
チーム総合採点…25点


 2009年はチーム史上23年ぶり2度目の最下位に転落し、2010年はハン・デファ新監督の下再起を図ったハンファイーグルス。しかしFA(フリーエージェント)によりキム・テギュンイ・ボムホの主軸2人がそろって日本プロ野球へと進出し、その穴を埋める大型補強もないなど開幕前から苦しい戦いが予想された。示範競技中の3月中旬、中継ぎ右腕マ・ジョンギルを現金3億ウォンとともにネクセンへトレードし、左腕マ・イリョンを獲得する緊急補強を行った。
 

 3月28日、敵地・仁川でのSKとの開幕戦は期待の新外国人カペランが先発したが、2−3で惜しくも敗れた。30日の本拠地・大田での地元開幕戦のロッテ戦でエースのリュ・ヒョンジンが先発し、キム・テギュンに代わる新4番チェ・ジンヘンの本塁打などの活躍もあって13−3と大勝し、3試合目にしてシーズン初勝利となった。しかし4月4日のサムソン戦でリュ・ヒョンジンを援護できず1−2で敗れると4連敗となり、その後も黒星先行が続き序盤から苦しい戦いとなった。その中でリュ・ヒョンジンだけが開幕から4連勝と孤軍奮闘していた。
 4月24日のLG戦で3−14と大敗すると、ここからまったく勝てなくなり4月のうちは連敗から脱出できず、9勝18敗の7位に沈んでいた。5月2日のサムソン戦は延長戦となったが6−8で敗れるとこれで7連敗となり、ネクセンに抜かれ単独最下位に転落した。5日のキア戦は、頼みのリュ・ヒョンジンでも勝てず0−4で完封負けし9連敗となった。7日のネクセン戦では開幕投手だったカペランが先発したが3回持たず降板し、カペラン自身も開幕から勝ち星なしの7連敗、そしてチームも11連敗とどん底に落ちていた。
 5月8日のネクセン戦で、これまでプロ未勝利だったヤン・スンジンの好投、ソン・グァンミンの活躍で5−0と完封勝ちし、ようやっと連敗街道から脱した。11日のLG戦ではリュ・ヒョンジンが圧巻の投球を見せ、1失点完投で17奪三振と、1試合の奪三振数の新記録を達成した。13日のLG戦ではシン・ギョンヒョンの2本塁打などで8−6と勝利し、シーズン初の3連勝で依然最下位ながら徐々に7位ネクセンとの差をつめていった。そして19日のトゥサン戦では7−4で延長戦を制すると、翌20日のトゥサン戦でチェ・ジンヘンの2本塁打の活躍で10−5と勝利し、初の4連勝でまだ最下位だったが勢いに乗り始めた。
 5月25日、7位ネクセンとの直接対決でリュ・ヒョンジンが完封で7勝目をあげ、ついに最下位から脱出し勝率も4割台となったが、その後大型連勝ができずネクセンを突き放せないままだった。6月8日、キアとの3対3大型トレードが発表され、主力投手の1人アン・ヨンミョンと若手2人の代わりに、長年キアの主力打者として活躍してきた左の好打者チャン・ソンホら3名を獲得し、戦力補強に努めた。しかしチームは下降線をたどり、11日のロッテ戦でカペランが開幕からの連敗を11に伸ばすと、このあと1軍で登板することはなく韓国で未勝利のまま7月には退団となった。3連敗を2度繰り返した6月17日、ネクセンに抜かれ最下位に転落したが、19日のサムソン戦で3−2と逃げ切り、7位に再浮上した。
 だが6月22日のロッテ戦で、リュ・ヒョンジンの好投によるリードを守りきれず、延長10回裏サヨナラ負けを喫するとまた単独最下位に転落し、26日のLG戦まで5連敗となった。6月29日から7月1日のトゥサン3連戦で3連敗し、最下位を独走するかに思われたが、7月3日、4日の7位ネクセンとの直接対決で連勝すると、8日のLG戦でリュ・ヒョンジンが最多勝争いトップタイとなる11勝目をあげるなど復調し、最下位からの脱出の希望が見えてきた。18日のネクセン戦で勝利し、21日のロッテ戦でリュ・ヒョンジンが最多勝争いトップとなる13勝目を1−0の完封で飾りチームも3連勝となると、1ヶ月ぶりに7位の座を取り戻した。しかし翌22日のロッテ戦では1−9と大敗し、またもや単独最下位となってしまった。またこのころサードのレギュラーだったソン・グァンミンが急に軍へ入隊することになり、緊急補強として日本の独立リーグにいた内野手ソン・ジファンと契約した。
 それでもハンファは粘り強く戦い、7月30日のトゥサン戦ではチョン・ウォンソクが2009年まで在籍した古巣相手に満塁本塁打を打ち4−2で勝利し3連敗から脱し、また7位に浮上した。8月5日にはカペランに代わる新外国人投手ブエノと契約したが、この日ネクセンとの直接対決に敗れ最下位となった。だが8日のロッテ戦で7月以降絶好調だったリュ・ヒョンジンが自身7連勝となる15勝目をあげ、またネクセンを抜いて7位となった。しかし11日のキア戦から15日のサムソン戦まで5連敗となり、その座を守ることはできなかった。17日のLG戦ではリュ・ヒョンジンの9回2失点の好投に打線がこたえられず、2−2の引き分けとなり連敗脱出はならなかった。20日のSK戦でようやっと9試合ぶりの勝利をあげたが、新外国人ブエノもわずか1勝しかあげられず、このあとチーム状態が上向くことはなかった。
 リュ・ヒョンジンは8月26日のネクセン戦で16勝目をあげ、最多勝最優秀防御率最多奪三振など個人タイトル総なめかと思われた。しかし9月2日のサムソン戦、5回2失点で降板すると、最下位争いを続けるチームのために投げ続けた疲労もあってか肩の痛みを訴えるようになり、11月の広州アジア大会への出場が決まっていることもあり無理をしないことにし、これ以降1軍で登板することはなかった。
 9月3日のサムソン戦で、2010年限りで韓国での現役引退を表明していた偉大なる左腕、ク・デソン(元オリックス)の引退試合が盛大に行われた。先発登板したク・デソンは先頭打者だけを打ち取って降板し、日本、米国でも活躍した大投手の韓国での最後の姿にファンたちは涙を流した。(ク・デソンは2010−11年シーズンもオーストラリア野球リーグのシドニーブルーソックスで現役を続行中。)
 7位ネクセンも浮上の兆しがなかったため、最後まで最下位脱出の望みをつないだが、頼みのリュ・ヒョンジンもおらず、9月19日のロッテ戦で敗れ球団史上初となる2年連続の最下位が確定した。25日のSK戦では熾烈な最多勝争いを繰り広げていたキム・グァンヒョンをノックアウトして7−1で勝利すると、翌26日の公式戦最終戦となったキア戦では、勝てばキム・グァンヒョンと並び最多勝タイの17勝目がかかっていたヤン・ヒョンジョンをこれまたノックアウトして、11−3の大勝で散々だった2010年シーズンを締めくくり、2試合連続で公式戦終盤のファンの楽しみに水をさす最下位チームらしい最後の意地を見せた。また勝利数でも同じ最下位だった2009年の46勝を3勝上回る49勝をあげた。


 2010年のハンファは、投打ともに惨憺たる状況でこれでは最下位もやむなしであるが、7位ネクセンに11勝8敗と勝ち越したため、最下位を独走し続けることはなく7位に浮上していた時期もあった。しかしその他のチームには勝ち越せず、特に2位サムソン、5位キアに4勝15敗と大きく負け越した。
 投手陣であるが、チーム防御率は5.43と8球団中最下位で、先発陣の防御率が5.38、リリーフ陣の防御率が5.49とどちらも散々な数字である。また失点763も最多だった。しかもこれは、リーグ2位の16勝、最優秀防御率(1.82)、最多奪三振(187)の2冠王となった韓国屈指の左腕リュ・ヒョンジンがいてである。いかにチームの選手層が薄かったかが分かる。
 リュ・ヒョンジンに次ぐ先発投手としては、右腕ユ・ウォンサンがいて規定投球回数(133)を超えていたものの、わずか5勝、防御率は5点台半ば、14敗で最多敗戦投手となっていた。投手陣の影の功労者として、チームの状況に応じ先発にリリーフに奮闘した外国人デポーラを忘れてはいけない。6勝12敗3セーブ、防御率は4点台半ばと優秀な成績ではなかったかもしれないが、労をいとわぬ働きが認められ2011年の再契約を勝ち取った。若手では高卒新人のアン・スンミンが先発での3勝を含む4勝と結果を残し、今後の希望を感じさせた。
 リリーフ陣では、2008年から2009年まで守護神を勤めた外国人左腕トーマス(元北海道日本ハム)の穴が埋まらず苦労した。シーズン序盤はデポーラが抑えとなったがチーム事情で先発に転向し、その後はヤン・フンが一時期その座を任された。しかし信頼を得るにいたらず、34歳のベテラン左腕パク・チョンジンが7月以降抑えを任されることが多くなり、チーム最多の10セーブをあげた。以前からあまり選手補強に大金をかけないハンファは、こうったベテランの活用がうまいのも特色である。また中継ぎではマ・イリョン、ユン・ギュジン、ホ・ユガンなどがよく起用されたが、防御率が高く安定感を欠いていた。
 ベテランの再生がうまいのは野手にもあてはまり、トゥサンから戦力外となった33歳のベテラン、チョン・ウォンソクがセカンドのレギュラーとなり、自身初となる規定打席到達、打率3割を記録した。またトゥサンからトレードされたイ・デスがショートのレギュラーとして活躍し、復活を印象付けた。しかしキム・テギュンイ・ボムホの穴を埋める長距離砲は現れず、打撃陣はチーム打率(.244)、得点(543)ともに8球団中最低の数字だった。
 かつて「ダイナマイト打線」と恐れられた強打者ぞろいのハンファだったが、2010年のチーム本塁打(104)は8球団中7位と、かつての勢いは感じられなかった。しかしその中でも、チェ・ジンヘンは軍から除隊されたばかりだったが4番を任され、持ち前の長打力が開花しチーム最多の32本塁打(8球団中2位)、92打点を記録する活躍を見せた。しかし脇を固める打者がいまひとつで、ほかに2ケタ本塁打を記録したのがキム・テワン(15本)、シン・ギョンヒョン(10本)とは寂しい限りである。キアから移籍してきたチャン・ソンホも、74試合で4本塁打、29打点と主力としては物足りない成績に終わった。チーム盗塁数は117と8球団中7位で、あまり足を生かした攻撃がなかったといえるが、プロ6年目でようやっと1軍に定着したチョン・ヒョンテが25盗塁を記録し、低い打率を克服して今後のレギュラー定着が期待される。
 守備面では、チョン・ウォンソク、イ・デスの二遊間が年間を通して安定していたが、ソン・グァンミンの抜けたサードはその穴が埋まらず苦労した。外野では36歳のベテランのカン・ドンウに衰えが見られ、その穴を埋める若手もこれと言った選手がなく、4番のチェ・ジンヘンもレフトの守備では他の選手の足を引っ張る場面も多かった。捕手は35歳のベテラン、シン・ギョンヒョンが打撃面でも信頼されていたが、イ・ヒィグンなど若手の台頭も見られた。
 

 オフの動向であるが、外国人選手は再契約したデポーラ以外にも、ドミニカ共和国出身の右腕オネリー・ペレスと契約し、課題の投手陣の補強に努めた。だが2008年から主軸を打ってきた長距離打者キム・テワンが軍へ入隊するなど、打線の弱体化がさらに進んだ。それもあって移籍先の福岡ソフトバンクで結果を残せず事実上戦力外となっていたイ・ボムホを復帰させようとしたが、条件面で折り合わないうちに1月末キアと契約されてしまい、大きな痛手を負った。規定によりキアからは多額の補償金をもらうだけでなく、補償選手1名を指名できることになっていて、戦力の薄いハンファが保護選手18名以外の誰を指名するのか注目を集めている。
 2009年から2010年にかけてソン・ジヌ、チョン・ミンチョル(元読売)、ク・デソンなど偉大な選手たちがグラウンドに別れを告げ、世代交代が進むハンファイーグルス。2011年シーズンも投打ともに苦しい戦いが予想されるが、チェ・ジンヘンなど2010年に輝いた一縷の希望がチームの行く先を照らし、2年連続最下位のどん底から引き上げることを期待したい。


(文責 : ふるりん