DAILY KOREAN PRO BASEBALL 2

1982年に発足し、2024年時点で10球団が加盟する韓国野球委員会(KBO)による韓国のプロ野球リーグ(通称KBOリーグ)に関するブログ。レギュラーシーズン、ポストシーズン(韓国シリーズなど)の試合速報や球団別の情報、現役プロ選手が含まれる野球韓国代表が出場する国際大会の情報などもお伝えします。 twitter : @kbodigest

  第4回 ロッテジャイアンツ

「あまりにも高いポストシーズンの壁」 
2010年成績 : 69勝61敗3分け(準プレーオフ敗退)
チーム総合採点…55点


 韓国プロ野球史上初の外国人監督・ロイスター監督がロッテを率いるようになって3年目となった2010年シーズンは、3年連続のポストシーズン進出は当然として、過去2年連続で跳ね返された準プレーオフの壁を今度こそ乗り越えてほしい、と熱狂的な釜山のファンたちは心から願っていた。


 3月27日、地元釜山・社稷野球場での開幕戦・ネクセン戦は超満員の観客で埋まったが、開幕投手の新外国人サドースキーが打たれ2−3で敗れると、翌28日のネクセン戦も先発チャン・ウォンジュンが乱調で3−11と連敗スタートとなり、雨天中止をはさんで4月3日のキア戦まで5連敗と最悪のスタートとなった。そして4月4日のキア戦で12回の延長戦を制しシーズン初勝利をあげると、7日のLG戦まで3連勝と復調するかに思えたが、その後また3連敗し、4月を終えて11勝17敗の6位となった。
 チームの不振は投手陣の不安定さによるもので、一方イ・デホ、ホン・ソンフン、ガルシア(元オリックス)などの主力野手は打撃成績上位に顔を出し、投打がかみ合っていなかった。その中でも2009年の最多勝投手チョ・ジョンフンは5月20日までに5勝と活躍していたが、その後故障もあって調子を落とし、6月後半以降1軍のマウンドに立つことはなかった。だがその代わりは5月になってようやっと韓国初勝利をあげた外国人サドースキーや、キム・スワン、イ・ジェゴンなどの若手が埋めた。
 6月3日のLG戦から4連勝、引き分け一つを挟んで6月9日のネクセン戦からまた4連勝と、先発の一角ソン・スンジュン7連勝と好調だったこともあり、12日のハンファ戦でシーズン初の勝率5割に達し、4位に浮上し3位サムソン、5位キアとの熾烈な順位争いに加わった。だが13日のハンファ戦から引き分け1つをはさんで5連敗で6位に後退し、その後また4連勝で4位に浮上したと思ったら4連敗と、不安定な戦いが続きSK、トゥサン、サムソンの上位3チームからは離されていった。その大きな要因として、シーズン開幕前から課題とされていた抑えの確立がうまくいかなかったことがあった。打撃三冠王争いをしていた主砲イ・デホは6月に12本塁打、33打点と好調だったにもかかわらず、チームは12勝10敗2分けと勢いに乗れなかった。
 勝率は4割台半ばであったが、キアが6月半ばから泥沼の16連敗にはまり、LG、ネクセン、ハンファといった下位球団は低迷していたため、4位争いには残った。7月になるとキム・スワン、イ・ジェゴンといった若手投手が先発陣に定着し始め、終盤戦に向けて好材料が出てきた。7月24日、大邱でのオールスター戦では、人気球団のロッテからイースタンリーグに7名もの選手がファン投票で出場し、お祭り男のホン・ソンフンが活躍しMVP(最優秀選手)を受賞した。なお、オールスター戦直前にネクセンからロッテへトレードされた若手内野手ファン・ジェギュンは、ネクセン属するウェスタンリーグでファン投票選出されオールスター戦への出場が決まっていたため、特例としてイースタンリーグの一員となり、なんとサヨナラヒットを打って勝利の立役者となった。
 7月30日のLG戦から久しぶりに4連勝したが、勝率4割台後半のロッテにとって5割台後半以上の上位3チームは遠い彼方にあり、キア、LGなど5位以下のチームは4割台半ばと差がつき、ロッテの4位の座は不動となっていった。8月4日のトゥサン戦でキム・ソヌから30号本塁打を打つと、イ・デホは毎試合本塁打を連発し、11日のサムソン戦でペ・ヨンスから6試合連続本塁打となる35号を放ち、韓国プロ野球タイ記録に並んだ。そして翌12日のサムソン戦で、アン・ジマンから新記録となる7試合連続本塁打を達成した。そして13日のキア戦では8試合連続本塁打とその勢いはとどまるところを知らず、ついに14日のキア戦、キム・ヒィゴルから前人未到の9試合連続本塁打を達成し、プロ野球ファンを大いに興奮させ、10試合連続本塁打への期待が高まったが、15日のキア戦で本塁打は出ずフィーバーは沈静化した。
 その一方で韓国中の話題を集めた9試合連続本塁打の間、ロッテは4勝5敗と負け越してしまい、主砲の好調がチームの勝利にさほど結びつかないあたりに、SK、サムソン、ロッテの上位3チームとの差がはっきり現れていた。しかもイ・デホの記録が止まった15日、試合中手首に死球を受けたホン・ソンフンが全治1ヶ月と診断され、チームに暗雲が垂れ込めた。
だがかえってこれでチームが結束したのか、8月17日からの首位SKとの3連戦で3連勝すると、20日からのトゥサン3連戦でも3連勝と、一気に6連勝で勝率5割に復帰した。だがそのあとの5試合で1勝4敗と、3位トゥサンをとらえるには至らなかった。それでも9月になると、ロッテ以上に調子が上がらない5位キア以下の下位チームとの差は大きく広がり、3年連続公式戦4位以上でポストシーズン進出が確実となってきたため、残り試合は来たる準プレーオフに向けての調整ムードになってきた。9月8日のサムソン戦で、審判の判定に文句を言って退場となったガルシアが、ツイッターで不満を述べたことが明らかになり、後日出場停止処分を受ける騒動もあった。
 終盤は個人タイトル争いも白熱し、主砲イ・デホの打撃三冠王は確実だったが、キム・ジュチャンが3年連続盗塁王(2007-2009年)のイ・デヒョン(LG)と激しい盗塁王争いを繰り広げた。ロッテは試合消化ペースが速かったため、9月19日時点でキム・ジュチャンは盗塁61個とイ・デヒョンに5個差でトップだったが、LGの残り試合数が多くイ・デヒョンが盗塁を重ね、9月24日にキム・ジュチャンを抜いてトップに立った。キム・ジュチャンは公式戦最終戦となった25日のネクセン戦で3個盗塁を決めて65個とし、イ・デヒョンと盗塁数で並びシーズンを終えた。しかしイ・デヒョンが翌26日の試合で盗塁を決めたため、惜しくもキム・ジュチャンの初の盗塁王はならなかった。


 9月17日にはホン・ソンフンが戦列に復帰し、公式戦を4連勝で締めくくり最終的には勝率も5割を少し超えポストシーズンに向けてロッテは上げ潮に乗っていた。しかも準プレーオフの相手は8月以降停滞気味で、直接対決で12勝7敗と勝ち越し得意にしていた3位トゥサンであった。そのため、2年連続準プレーオフで敗退し涙をのんできたロッテファンたちは、3度目の正直を期待していた。
 9月29日の準プレーオフ第1戦、敵地の蚕室野球場の3塁側は数多くのロッテファンで埋まった。試合はロッテの先発ソン・スンジュン、トゥサンの先発ヒメネスとエースクラスの投げ合いになるかと思ったが、一進一退の打撃戦となり、7回表チョ・ソンファンのタイムリーで5−5の同点に追いついたロッテが、9回表チョン・ジュヌの3ランなどで勝ち越して、10−5で緒戦を制した。
 第2戦は一転して1−1のロースコアの展開で延長戦に入ったが、10回表主砲イ・デホの3ランで勝ち越すと、最後はイム・ギョンワンが抑えロッテが2連勝しプレーオフ進出に王手をかけた。2試合続けて接戦を制したロッテの勢いなら、あと1勝となった準プレーオフ突破はたやすいことのように思えた。
 しかし、大舞台で勝った経験がないチームにとって、その1勝の重みは計り知れないものがあった。舞台を本拠地・社稷野球場に移した第3戦は、ロッテが1回裏チョ・ソンファンのタイムリーで2点を先制したが、ポストシーズン初登板のイ・ジェゴンが打たれ、イ・デホのエラーもあり逆転された。その後5−6と1点差に迫るが、この準プレーオフで好調だったチョン・ジュヌの大飛球が上空のアドバルーンに当たってグラウンドに落下した打球が、トゥサン側の抗議によってアウトの判定になった不運もあり、第3戦を落とした。第4戦も接戦となり、1点をリードされた7回裏、1塁走者チョン・ジュヌがけん制でさされてしまってチャンスを潰すと、9回表課題のリリーフ陣が崩壊し一気に8点を奪われ、9回裏2点を返したものの4−11で大敗し、決着は第5戦にもつれこんだ。
 敵地・蚕室野球場で再び迎えた第5戦の前に、もうロッテは力尽きていたのかもしれない。先発ソン・スンジュンが2回裏2点を先制されると、3回表1点を返したがそのあと継投の失敗や走塁、守備のミスを連発して徐々に点差が広がり、第4戦と同じく4−11で敗れ、2連勝後の3連敗とまさに天国から地獄に突き落とされる形でロッテは3年連続で高い高い準プレーオフの壁に跳ね返された。
 ロッテがポストシーズンで勝てない理由として、2000年から07年まで長く下位に低迷していて大舞台の経験が浅いということがあげられるが、公式戦で勝率5割少々と決して強いチームではないのに、ポストシーズン向けの特別なことをせず、ロイスター監督がまさに「普段通り」の野球をやってしまうというのも目立った。短期決戦では柔軟な選手起用や采配が求められるが、主軸打者が爆発して先発が好投すれば勝つという勢い任せのロッテ野球をやってしまい、総合力で勝り経験豊富な相手チームにワンパターンな手の内を読まれ、もろくも崩れ去っていった。また故障明けであまり調子がよくないホン・ソンフンの起用にこだわり打てなくても使い続けてしまい、肝心な場面でのエラーやミスも目立った。


 2010年のロッテは、まさに打撃のチームだった。
 チーム打率(.288)、得点(773)、本塁打(185)は8球団中トップであり、その中心には打撃三冠王(.364、44本塁打、133打点)のイ・デホが座っていた。打率、打点ともに2位(.350、116打点)のホン・ソンフン、打率3位(.336)のチョ・ソンファンなど前後の打者も強力で、相手投手陣にとってイ・デホとの勝負だけを避ければいいというわけでもなく、三冠王は周囲のアシストがあってこそのものだった。その他には強打の捕手カン・ミンホ(23本塁打)、外国人ガルシア(26本)もいて、上位から下位まで息をつかせぬ打線だった。またチョン・ジュヌ、ソン・アソプといったパンチ力のある若手野手の成長も目覚しかった。
 チーム盗塁数は121個(8球団中6位)と多いほうではなく、しかもその半分以上は4年連続盗塁王のイ・デヒョンと激しい盗塁王争いをしたキム・ジュチャン(65個)によるもので、足を使った攻撃のあるチームではなかった。犠打数(60個)も8球団中7位と、あくまでもイ・デホ、ホン・ソンフンなどの主軸を中心とした長打連発で得点を取る豪快なスタイルの打線だった。
 だがこれほどの打線を擁しても、公式戦勝率が5割を少し上回った程度(.519)だったのは、脆弱な投手陣のせいであった。チーム防御率(4.82)、失点(710)はともに6位で、被本塁打数(149)、被安打数(1291)は最多、奪三振数(779)は最少と、あまりよくない数字が並ぶ。与四死球数(497)は最少であるが、これは投手陣が相手の主力打者と真っ向勝負してしまい、三振を取れず打たれてしまっていたせいだとも言える。
 先発投手の防御率(4.72)もあまりよいほうではないが、強力な打線のおかげもあってか、ソン・スンジュン(14勝)、チャン・ウォンジュン(12勝)、サドースキー(10勝)の先発三本柱はいずれも2ケタ勝利をあげることができた。また若手のイ・ジェゴンも19試合に先発し8勝と活躍したが、2009年最多勝のタイトルを取ったチョ・ジョンフンが故障もあり5勝にとどまり、2011年から軍へ入隊したのが惜しまれる。
 課題のリリーフ陣の防御率(5.07)は先発と比べてそう極端に低いわけではないが、抑えの切り札を確立できず打たれているという印象を深めた。2009年26セーブをあげ最多セーブのタイトルを取ったものの、不安定な投球が目立った外国人投手アドキンスと契約しなかったが、その穴を埋める人材にめぼしく、8球団中唯一2ケタのセーブ数をあげた投手がいなかった。チームのセーブ数(21)は8球団中最少で、チーム最多セーブが序盤で抑えからはずされたイム・ギョンワンの7だった。長年伸び悩んできたキム・サユルが、終盤抑えとして起用され5セーブをあげ、準プレーオフでも好投したのが明るい材料だ。左のホ・ジュンヒョク(背番号20)、カン・ヨンシク、右のペ・ジャンホ、キム・イリョプなど中継ぎ陣は頭数こそそろっていたが、他球団と比べて質が高いわけでもなかった。 
 守備面は、失策数(102)が8球団中最多だった。特に内野の要ショートのレギュラーを確立できず、それまでレギュラーだったパク・キヒョクが不振で、後半戦はムン・ギュヒョンが起用されたが打撃面で物足りなかった。サードのレギュラーで主砲のイ・デホは守備に何があるため指名打者で起用されるっことも多く、安定した三遊間の守備が見られなかった。外野守備でも打撃同様チョン・ジュヌ、ソン・アソプの成長が目覚しかった。


 2010年オフ、指揮を執った3年間すべてチームを公式戦4位以上のポストシーズン進出に導いた外国人監督ロイスターとの契約を、肝心のポストシーズンで勝てないことを理由に延長せず、これまでの野球人生でまったくロッテと縁のなかったヤン・スンホ新監督が就任した。戦力面では、審判への暴言などが目立ち成績が下降していた外国人の強打者ガルシアと契約せず、課題の投手陣強化のため新外国人投手ブライアン・コーリー(2010年は千葉ロッテに在籍)と契約し、先発ローテーションを守り続けた外国人投手サドースキーとは再契約した。またトレードでネクセンから有望な若手右腕コ・ウォンジュンを獲得した。
 2011年、4年ぶりに韓国人監督の指揮下に置かれたロッテは、ロイスター監督時代の選手の自主性を重んじた「自律野球」から、ヤン・スンホ新監督の下、韓国らしい団結力を重んじたチームカラーに変えようとしている。熱狂的な釜山のファンたちは、もはやポストシーズン進出は当たり前であり、さらにその上の厳しい戦いを勝ち抜くことができる、勢い任せではない成熟した真の強さを兼ね備えたチームの出現を期待しているのであろうが、新生ロッテジャイアンツは1992年以来19年ぶりの韓国シリーズ優勝という最高の結果を出すことができるのだろうか?

(文責 : ふるりん