DAILY KOREAN PRO BASEBALL 2

1982年に発足し、2024年時点で10球団が加盟する韓国野球委員会(KBO)による韓国のプロ野球リーグ(通称KBOリーグ)に関するブログ。レギュラーシーズン、ポストシーズン(韓国シリーズなど)の試合速報や球団別の情報、現役プロ選手が含まれる野球韓国代表が出場する国際大会の情報などもお伝えします。 twitter : @kbodigest

  第7回 ハンファイーグルス

「奇跡の最下位脱出」 
2011年成績 : 59勝72敗2分(公式戦6位)
チーム総合採点…45点

 2009年、2010年と2年連続最下位に終わり、さしたる戦力補強もなく示範競技でも最下位だったため、2011年シーズン開幕前、3年連続最下位が規定路線だとされていた。だが、結果は最下位どころかシーズン終盤は一時的にではあるが5位にまで浮上し、下馬評を覆す大健闘だった。2011年シーズン、プロ野球タイ記録となる11回のサヨナラ勝ちを演じ、プロ野球ファンを感動させたハンファイーグルスの奇跡のドラマを追っていくことにする。


 4月2日、敵地社稷でのロッテとの開幕戦はエースのリュ・ヒョンジンが打たれ0−6で完封負けを喫したが、翌3日、期待の若手アン・スンミンの好投や主砲チェ・ジンヘンの活躍で3−1と初勝利をあげた。6日のキア戦は9回裏カン・ドンウの2ランで同点に追いつくと、10回裏イ・デスのサヨナラ本塁打で10−9のシーズン初のサヨナラ勝ちとなった。だが4月はリュ・ヒョンジンが1勝4敗と振るわず、投打ともにいいところがなくエラーも非常に多かったため、6勝16敗1分けの最下位に低迷した。
 5月6日のネクセン戦は乱打戦となったが、9回裏チョン・ヒョンテのタイムリーで9−8とサヨナラ勝ちしたあたりから調子が上向き始めた。21日のキア戦でシーズン初の4連勝を記録し、ネクセンを抜いて7位に浮上すると、2度と最下位に転落することはなかった。24日のSK戦ではカン・ドンウのタイムリーで3−2とサヨナラ勝ちし、苦手だったSK相手に7試合目にして初勝利をあげた。5月は13勝13敗の勝率5割で終わり、7位と上位は遠かったが着実にチームは力をつけていた。
 6月初め、先発として期待していたが結果を残せなかった2年目の外国人投手デポーラを見切り、打線強化のため、2008年から2010年までロッテで活躍していた新外国人ガルシア(元オリックス)と契約し、更なる反攻を試みた。9日のLG戦で勝利し、不振を極めていたトゥサンを抜いて6位に浮上した。
 しばらくの間トゥサンとの6位、7位争いが続き、ガルシアは6月15日のキア戦で敗れはしたものの韓国復帰後初本塁打を満塁アーチで飾るなど、ファンたちを大いに期待させた。ガルシアは翌16日のキア戦でも2試合連続満塁本塁打を放ち勝利に貢献し、さらに17日のトゥサン戦では延長10回裏、3試合連続本塁打となるサヨナラ3ランを放つなど、神がかり的な活躍を続けた。19日のトゥサン戦ではリュ・ヒョンジンが9回1失点と好投すると、9回裏イ・デスの犠牲フライで2−1とシーズン5度目のサヨナラ勝ちを記録し、6位の座を守った。
 その後7位に後退したが、6月は12勝10敗と初めて勝ち越した。7月初め、抑えとして期待したが結果を残せなかったオネリーを解雇し、新外国人投手ボーティスタと契約した。7月5日のLG戦、イ・ヒィグンのタイムリーでサヨナラ勝ちしたが、肩周辺の痛みのためエースのリュ・ヒョンジンが1軍から外れ、6月は爆発したガルシアも不調など投打ともにさえず、チームが下降線をたどりだした。そのためユ・ウォンサン、ヤン・スンジンと2人の投手をLGに放出し、トレードでリリーフ強化のためキム・グァンスを獲得した。19日のキア戦ではチェ・ジンヘンの2点タイムリーで7−6とサヨナラ勝ちし、キム・グァンスも移籍後初勝利をあげた。7月は6勝10敗と負け越し、7位にとどまった。
 8月になってもリュ・ヒョンジンは回復せず、層の薄い先発陣は苦しかったが、新外国人ボーティスタが後半になると抑えに定着した。8月24日のサムソン戦で3連勝しトゥサンを抜いて6位に浮上した。だが28日のLG戦で敗れ7位に後退し、8月も8勝11敗1分けと負け越した。9月2日のネクセン戦、チャン・ソンホのタイムリーで1−0と久しぶりにサヨナラ勝ちすると、翌3日のネクセン戦でもガルシアへの押し出しの四球で2試合連続のサヨナラ勝ちとなり、6日まで4連勝と調子を上げてきた。
 9月16日のロッテ戦は、ガルシアのシーズン2本目のサヨナラ本塁打となる2ランで12−10と勝利し、22日の直接対決で8−1と勝利しトゥサンを抜いて6位に浮上した。1日で7位に後退したが、25日のロッテ戦では延長11回裏代打イ・ヤンギのタイムリーで3−2とシーズン11度目のサヨナラ勝ちするなど、勢いは衰えていなかった。28日の本拠地大田での最終戦となったLG戦ではリュ・ヒョンジンの好投もあって4−2と勝利し、また6位に浮上した。
 シーズン終盤はトゥサン、LGとの5−7位争いが激化した。10月1日のネクセン戦で勝利しLGと同率5位に並ぶと、翌2日のネクセン戦でも勝利しLGが敗れたため、シーズン初めて単独5位に浮上した。しかし奇跡もここまでで、4日のロッテ戦でシーズン最多の20失点を喫し大敗すると、6日の公式戦最終戦となったロッテ戦まで3連敗し、5位どころか単独6位の座すら守れず、LGと同率6位でシーズンを終えた。
 上位争いに加わることはなかったが、最下位は当然とされていたチームにとっては望外の成績であり、今後につながる1年であったといえよう。ハンファで2年目を迎えたハン・デファ監督も、キム・ソングン前SK監督の「野神(野球の神)」にちなんで、「野王」というニックネームで呼ばれるようになるなど、指導者として高い評価を得るようになった。


 ハンファが同率とはいえ6位で終わったのが「奇跡」である理由は、チーム成績を見てもよくわかる。チーム防御率(5.11)、失点(727)はともに8球団中最下位で、ともに7位のネクセン(防御率4.36、失点622)と比べてもかなり見劣りする。だがシーズン終了時点で6位ハンファと最下位ネクセンは8ゲーム差もついていた。チーム打率(.255)、得点(568)、盗塁(100)は8球団中7位、本塁打(93)は同6位と、打線もかなり貧弱であった。だが得点圏打率は.287と8球団中2位で、チェ・ジンヘン(.385)、ガルシア(.316)と主軸に得点圏打率の高い打者がそろい、ドラマティックな勝利を多く演出した。
 投手陣は先発、リリーフともに貧弱であった。2006年のハンファ入団以降圧倒的な成績を残してきたリュ・ヒョンジンが夏場戦線を離脱していたが、それでもチーム最多の11勝と結果を残した。シーズンを通して投げ続けていればチームの順位はもっと上であったかもしれない。規定投球回数(133回)に達したのはアン・スンミン(7勝:防御率5.89)、ヤン・フン(6勝:防御率4.28)の2人で、キム・ヒョンミン(5勝)が先発陣ではそれに続く勝ち星を挙げたが、リュ・ヒョンジン以外に防御率3点台の安定した投球ができる先発投手を欠いた。
 リリーフも層が薄く、中継ぎは頭数不足だった。だが左のリリーフで唯一安定感のあったパク・チョンジン(7勝7セーブ)が抑え、守護神ボーティスタ(10セーブ)が抑えるという勝ちパターンが8月にできあがったことがシーズン終盤の健闘につながった。

 打線の軸は2010年32本塁打を記録した長距離砲チェ・ジンヘンであった。シーズン序盤は不振であったが、チャンスに強い打撃でチーム最多の19本塁打、85打点と2冠王だった。6月に入団したガルシアも18本塁打、61打点と活躍した。また公式戦133試合全試合に出場しチーム最多盗塁(17)を記録した不動の1番打者カン・ドンウ、打率3割を記録し自身初のゴールデングラブ賞(ショート)を受賞したイ・デス、外野のチャン・ソンホなど頼れるベテラン選手の活躍も目立った。また軍から除隊され復帰したハン・サンフンもセカンドのレギュラーとして安定した守備を見せた。


 2011年オフは、2009年まで主砲として活躍したキム・テギュン(元千葉ロッテ)が日本から復帰したのみならず、韓国人初のメジャーリーガー、パク・チャンホ(元オリックス)が特例によってハンファに入団し、大きな話題を呼んだ。またLGからFA(フリーエージェント)となっていたソン・シニョンと契約し、手薄なリリーフの補強に努めた。外国人選手であるが、派手な活躍が多かったが低打率で確実性のなかったガルシアとは再契約せず、抑えを任せるためボーティスタとは再契約すると、先発陣補強のため新外国人投手バスと契約した。
 大型補強により戦力アップに成功したハンファは、それまでの最下位候補から4位以上への進出を予想する声も聞かれるようになった。また本拠地・大田の野球場も大規模に改修し観客席を2000席以上増設する工事を開始する(2012年4月完工予定)など、勢いに乗っている。2012年シーズンはハン・デファ監督3年目の勝負の年となることは間違いがない。

(文責 : ふるりん