DAILY KOREAN PRO BASEBALL 2

1982年に発足し、2024年時点で10球団が加盟する韓国野球委員会(KBO)による韓国のプロ野球リーグ(通称KBOリーグ)に関するブログ。レギュラーシーズン、ポストシーズン(韓国シリーズなど)の試合速報や球団別の情報、現役プロ選手が含まれる野球韓国代表が出場する国際大会の情報などもお伝えします。 twitter : @kbodigest

1.公式戦

 開幕前には2005,06年と韓国シリーズを連覇した王者サムソン、惜しくも2006年韓国シリーズ準優勝だったハンファ、名将キム・ソングン新監督を迎えたSKが3強となり、例年以上の混戦になると予想された。だが実際は、レイボーン、ロマノ(以上元広島)の両外国人投手の補強に成功しただけでなく、若手とベテランの融合が進み選手層が厚くなったSKが投打ともに他球団より頭一つ以上抜きん出ていた。
 SKは開幕ダッシュに成功し、5月半ばまで首位を走っていた。だが5月後半から6月前半は投打ともに調子を落とし、ハンファやトゥサンに首位を譲ったが、6月後半からの11連勝で独走態勢に入り、その後一度も首位を譲ることなく9月28日に球団設立8年目にして初の優勝を決めた。SKはタイトル争いをする選手は少なかったが、総合力で他球団を圧倒した。
 7月以降はポストシーズンで有利な立場に立てる2位争いが激化した。その中でトゥサンは若手野手の成長と、シーズンMVPを受賞し外国人投手初の20勝を達成したリオスの活躍で、2位争いを優位に進めプレーオフ進出を決めた。現代を4度の韓国シリーズの優勝に導いたキム・ジェバク新監督を迎えたLGは、9月に早々と2位争いから脱落し5位に終わったが、長年続いていたチームの停滞ムードを振り払うことには成功した。
 終盤の直接対決でサムソンに連勝したハンファが3位、サムソンが4位となり、ポストシーズン進出を決めた。サムソンは故障でリハビリ中のエースのペ・ヨンスの穴を埋められなかった先発のコマ不足と、ヤン・ジュンヒョク、シム・ジョンスなど突出した選手はいるものの、つながりの弱かった貧打線で公式戦3連覇を逃した。
 開幕前に球団経営危機から農協への売却が報じられたが実現しなかった現代は最下位候補だったものの、夏場までは中位に食らいついたが投手陣のコマ不足もあり息切れし、6位に終わった。序盤好調だったが次第に上位と差がついてきたロッテは2年連続7位に終わり、またもや熱狂的なファンたちを落胆させるだけの1年となった。投打ともに故障者が続出し、首脳陣やファンによるトラブルの耐えなかったキアは、早くも5月に上位争いから脱落するとそのまま2年ぶりの最下位に低迷した。
 個人タイトルでは、何と言ってもシーズンMVP(最優秀選手)のリオスが、22年ぶりとなるシーズン22勝をあげる超人的な活躍で最多勝最優秀防御率、最優秀賞率などタイトルを総なめにした。2006年シーズンMVP、新人王などタイトルを総なめにしたリュ・ヒョンジン(ハンファ)も、2年連続の最多奪三振のタイトルを取り、チームのエースとして活躍した。サムソンの守護神オ・スンファンは、史上初の2年連続40セーブを記録し2年連続セーブ王となった。
 打者部門では通算300本塁打以上の長距離砲ながらタイトルとは無縁だったシム・ジョンス(サムソン)が、本塁打、打点の二冠王となり復活をアピールした。これまで地味な存在だったイ・ヒョンゴン(キア)が初の首位打者となり、最下位に低迷したチームに数少ない明るい話題を振りまいた。また盗塁王は、今季打撃が成長しレギュラーとなったイ・デヒョン(LG)が初受賞した。また、通算安打記録など数々の記録を持つ大打者ヤン・ジュンヒョク(サムソン)が、6月9日に史上初の通算2000本安打の偉業を達成した。
 今季は例年にも増して、外国人投手の活躍が目立った。今季8球団に在籍した22名の外国人選手のうち、15名が投手だった。シーズンMVPとなったリオス(トゥサン)だけでなく、レイボーン、ロマノ(以上SK)、ランデル(トゥサン、元読売)、セドリック(ハンファ、元東北楽天)、ブラウン(サムソン)なども先発として2ケタ勝利をあげた。来季以降も外国人投手の出来がチームの成績を左右する傾向は続きそうだ。野手ではクルーズ(ハンファ)、ブランボー(現代、元オリックス)が活躍した。
 KBO(韓国野球委員会)は開幕前に総観客動員数の目標を400万人としていたが、今季は11年ぶりにその数字をクリアした。その要因としては、SK、トゥサン、LGの首都圏の3万人収容の球場を本拠地とする球場を持つ球団が好成績をあげたこと、好調なら熱狂的なファンによる爆発的な観客動員が見込めるロッテが5月過ぎまで上位に残っていたこと、またチェ・ヒィソプ(キア)などメジャーリーグ帰りの選手が入団しフィーバーとなったことなどがあげられる。2008年はこの盛り上がった雰囲気を持続させ、さらなる観客動員を期待したい。


2.ポストシーズン

 毎年プロ野球のクライマックスとして多くの観衆が集まるポストシーズンは、10月9日にハンファ−サムソンの準プレーオフで幕を開けた。第1戦はハンファが5−0で完封勝ちしプレーオフ進出に王手をかけたが、第2戦は逆にサムソンが6−0で完封勝ちし、決着は第3戦にもつれた。第3戦は接戦となったがハンファがリードを守りきり、5−3で勝ちプレーオフ進出を決めた。ソン・ドンヨル監督(元中日)率いる王者サムソンの韓国シリーズ3連覇の夢はここで断たれた。
 トゥサンとハンファがSKとの韓国シリーズ進出権をかけて戦ったプレーオフは、第1戦は8−0、第2戦は9−5、第3戦は6−0とトゥサンが3連勝し韓国シリーズ進出を決めた。トゥサンはリオスを軸とした投手陣が好投し、ミスを連発したハンファの投手陣や守備陣の隙を突き、果敢な走塁で得点を重ねた。ハンファは準プレーオフで、リュ・ヒョンジンなど先発要員を目いっぱいリリーフにつぎ込み、投手陣に余裕がなかったのが敗因となった。
 初優勝を狙うSK、6年ぶり4度目の優勝を狙うトゥサンとの戦いとなった韓国シリーズは、最初トゥサンがプレーオフでの勢いをそのまま見せ付けた。第1戦はリオスが完封しトゥサンが2−0で勝利し、第2戦もトゥサンが中盤相手を突き放し6−3で勝利し、幸先よく連勝スタートとなった。完全に勢いがなかったが、選手層ではトゥサンを圧倒的に上回るSKが本領を発揮したのはここからだった。
 1日おいた第3戦でSKが9−1で勝利すると、第4戦は大型高卒新人キム・グァンヒョンが快刀乱麻のピッチングを続け、打線も第1戦で完封されたリオスから得点を奪い、4−0で勝利した。2勝2敗のタイとなった第5戦は終盤まで接戦となったが、シリーズMVPとなったキム・ジェヒョンの決勝タイムリーでSKが4−0で勝利し、初優勝に王手をかけた。
 第6戦はトゥサンが先制したが、SKがキム・ジェヒョンの本塁打などで逆転し5−2で勝利し、4連勝で韓国シリーズ初優勝を決めた。連敗スタートからのシリーズ優勝は史上初の快挙だった。トゥサンは第3戦の乱闘騒ぎ以降選手の士気が空回りしたのか、まったく打てなくなり4連敗を喫した。
 今回の韓国シリーズはSKが文鶴(ムナク)野球場、トゥサンが蚕室(チャムシル)野球場とともに3万人収容の大球場を本拠地としていることもあり、第2戦をのぞいて3万人の超満員の観衆が入り、近年にない盛り上がりを見せた。またSKの初優勝で、野球の盛んな都市として知られる仁川(インチョン)の野球熱がさらに高まったと考えられる。


3.国際大会
 
 プロ野球のアジアナンバー1を決めるアジアシリーズには、韓国シリーズ初優勝のSKが韓国代表として初出場した。SKは韓国シリーズでの勢いをそのまま持ち込み、緒戦の中日戦では先発キム・グァンヒョンの好投もあり6−3で勝利した。これは地元日本代表に3大会目で初黒星をつけた歴史的な1勝でもあった。
 続く中国代表チャイナスターズ戦、台湾代表・統一戦では2試合連続で13得点を奪いコールド勝ちし、決勝戦では中日と再戦したが惜しくも6−5で敗れた。だがチームバッティングに徹した打線、相手の隙を突く果敢な走塁、豊富なリリーフ陣による小刻みな継投、連携の取れた守備などは、豪快に打って守るだけという従来の韓国プロ野球のイメージを大きく覆すものであり、準優勝という結果以上のインパクトを残した。
 
 2007年の韓国球界にとって大きな課題の一つが、2008年北京五輪の出場権を得ることだった。前回のアテネ五輪予選では、台湾に敗れたこともあり出場権を逃していた。北京五輪予選を兼ねたアジア野球選手権は12月1日から3日まで台湾で行われた。今回は出場4チーム中1チームにしか五輪出場権が与えられないため、大激戦が予想された。
 今回の韓国代表チームはトゥサンで実績を残しているキム・ギョンムン監督が代表監督に初選出され、それを大学の後輩に当たる国際経験が豊富なソン・ドンヨル首席兼投手コーチ(サムソン監督)が支える体制となった。代表候補選手はシーズン中の活躍や状態で頻繁に入れ替えが行われ、本格的始動は韓国シリーズ終了後の11月1日からとなり、イ・ビョンギュパク・チャンホなどを除くと国内組主体で構成された。10日にはキャンプ地の日本・沖縄県に移動し、代表予備軍との練習試合を行い調整に努めた。選手や首脳陣は26日に台湾入りし、30日に試合に出場する代表選手24名が発表された。
 緒戦の地元台湾戦は、先発リュ・ヒョンジン(ハンファ)が1点を先制されたが、その後イ・ジョンウク(トゥサン)の3ランで韓国が逆転した。パク・チャンホのロングリリーフでの好投もあり、韓国は5−2で勝利し、4年前のアテネ五輪予選で敗れた雪辱を晴らした。
 2戦目の日本戦は、日韓両国の球史に残る激闘となった。試合開始直前に韓国が大幅に先発メンバーを入れ替えた「偽装オーダー問題」が大いに物議をかもし、熱戦に水を差してしまった。韓国はコ・ヨンミン(トゥサン)の本塁打で1点を先制するが、先発チョン・ビョンホ(サムソン)が3点を失い逆転された。その後韓国は必死の継投で食らいつくが、日本の岩瀬、上原などの投手リレーにより同点に追いつけず、4−3で敗れた。
 最終戦では格下のフィリピン相手に13−1でコールド勝ちしたが、日本が3戦全勝で優勝したため、韓国は2位となり世界最終予選(2008年3月7−14日、台湾)に出場し北京五輪出場を狙うこととなった。8カ国が参加する同予選で3位以内に入れば出場権が得られるが、決して楽観視はできない。なお、主砲として期待されたが手術のためアジア野球選手権の参加を見送ったイ・スンヨプ(読売)が出場を希望しているが、実現するかは未定である。
 
4.現代ユニコーンズ 球団存続・売却問題

 2007年のプロ野球界にとって、最大の難点が経営危機に陥っていた現代ユニコーンズの球団存続、そして売却問題であった。1996年の球団創立以降4度の韓国シリーズ優勝に輝いた強豪は、近年親会社の経営不振と、8球団中最低の観客動員数(1試合あたり2000人前後)などで収益が極端に少なく、経営危機が懸念されていた。そして2007年1月中旬、現代球団の農協への売却が報じられた。
 だがこれは農協内部の反対が強く実現せず、その後現代グループの他企業も球団に資金を提供しないこととなり、存続が危ぶまれた。結局KBO(韓国野球委員会)は2007年シーズンに限り金融機関から運営費用を融資し、8球団で開幕を迎えることとなり、KBOが売却先を探し続けることとなった。結局現代は予定通り示範競技、公式戦126試合ともに予定通り消化したが、肝心の球団売却先は決まらなかった。
 9月末に新興企業STXグループが球団買収に乗り出している、と報じられたが、同グループの不祥事や資金不足などもあり話は遅々として進まなかった。結局KBOは11月にSTXとの交渉を打ち切ることにし、またもや球団売却に失敗した。
 2007年も終わりを迎えつつあった12月27日、KBOは電話など通信事業を手がけるKTグループがソウルを本拠地とする新球団を設立し、2008年シーズンからプロ野球に参入することを発表し、KT自身も新球団設立の意思を表明した。これによって現代ユニコーンズは解体され、12年の歴史の幕を閉じることとなり、選手などは新球団へ移籍するものと思われるが、新球団の設立についてすでにソウルを本拠地としているトゥサン、LGがKBOの独断専行に対し、抗議行動に出ている。新球団設立は正式に決定されたことではないため、2008年新年早々にも開かれる予定のKBO理事会に注目が集まる。
(文責:ふるりん)