DAILY KOREAN PRO BASEBALL 2

1982年に発足し、2024年時点で10球団が加盟する韓国野球委員会(KBO)による韓国のプロ野球リーグ(通称KBOリーグ)に関するブログ。レギュラーシーズン、ポストシーズン(韓国シリーズなど)の試合速報や球団別の情報、現役プロ選手が含まれる野球韓国代表が出場する国際大会の情報などもお伝えします。 twitter : @kbodigest

  第2回 サムソンライオンズ

「世代交代による躍進で大打者の最後を飾る」 
2010年成績 : 79勝52敗2分け(韓国シリーズ準優勝)
チーム総合採点…85点


2009年は5位に後退し13年ぶりにポストシーズン進出を逃したが、2010年シーズンは一転優勝争いに加わり、大打者ヤン・ジュンヒョクの引退も大きな話題を呼んだサムソンライオンズソン・ドンヨル監督(元中日)は生え抜きの若手を主力選手に成長させ、特に7月以降の強さは特筆すべきものがあった。

 3月27日、本拠地・大邱での開幕戦LG戦は敗れ、開幕ダッシュとは行かなかったが、4月4日のハンファ戦から6連勝と波に乗り、首位トゥサンに次いで2位につけた。しかし14日のLG戦から5連敗してしまい、SK、トゥサンの上位2チームから離されていった。4月29日のLG戦から4連勝したが、SK、トゥサンとの差を縮められず3位のままだった。5月1日のハンファ戦で、復活を期す守護神オ・スンファンがひじの痛みを訴え降板すると、戦線復帰まで1ヶ月を要したが、故障が再発し7月以降は1軍登板することはなかった。そのため、アン・ジマン、チョン・ヒョヌク、クォン・ヒョクの集団リリーフ体制が形成されていった。
 2009年14勝で最多勝投手となったユン・ソンファン、外国人投手クルセタ、ナイト(元北海道日本ハム)が思うように勝てず、もともと先発投手陣の頭数が少ないため、大型連勝ができなかった。チェ・ヒョンウ、チェ・テイン、パク・ソンミンなど若手が主軸を撃つようになった打線も悪くはなかったが、41歳の大打者ヤン・ジュンヒョクの出場機会が減り、ここ一番で頼れる打者が不在で爆発力に欠けていた。そのせいか、6月2日のキア戦から6連敗し、8日にはキアと同率3位に並ばれ、勝率5割の維持も難しくなった。
 シーズンも半ばに差し掛かった6月23日のトゥサン戦から快進撃が始まった。先発投手陣が復調し、先述した集団リリーフ体制が機能し始め、7月7日の首位SK戦までチェ・テインの3打席連続本塁打もあって12連勝し、5ゲーム前後離されていた2位トゥサンに肉薄した。翌8日は13連勝、対SK戦3連勝を狙ったが、キム・グァンヒョンを攻略できず完封負けし、首位との差を思い知らされた。連勝が止まった後の10試合も4連勝が2度と好調を維持し、10日のネクセン戦で勝利するとトゥサンを抜いて2位に浮上した。1ヶ月前には5割あるかないかだった勝率も、オールスター戦前最後のキア戦でも勝利し、.591と6割も見えてきていた。そして地元大邱で開催された7月24日のオールスター戦では、出場試合数、安打数、本塁打数など数々の個人通算記録を持つ41歳の大打者ヤン・ジュンヒョクが同点ホームランを打ち、サムソンファンのみならずすべての野球ファンをうならせた。
 チームの世代交代による躍進が進む中、ヤン・ジュンヒョクはオールスター戦後2010年シーズン限りでの現役引退を明らかにし、以後試合に出ることはなかった。8月3日からのSKとの首位攻防戦で1勝2敗と負け越したが、8月は5連勝が2度と勢いは落ちることがなかった。6月から先発に定着し連勝を続けた左腕チャ・ウチャンは、その快進撃の立役者となった。また、打線ではチョ・ドンチャンの1番固定で機動力を使った野球が徹底し、上位から下位まで切れ目のない打線ができあがった。だが首位SKも8月後半から調子を上げ、SK戦がなかったこともありその差はなかなか縮まらなかった。サムソンはSKと比べて試合消化ペースが速く、9月になるとやや勢いが落ちてきたこともあり、ポストシーズンプレーオフから進出できる公式戦2位確保が現実的目標となった。
 サムソンファンのみならずすべての野球ファンが注目するヤン・ジュンヒョクの引退試合は、9月19日SKとの最後の首位攻防戦となった。ヤン・ジュンヒョクは4番で先発出場し、SKの先発キム・グァンヒョンとの真剣勝負で3打席連続三振だった。そして最後の第4打席は平凡な内野ゴロだったが、巨体を揺らしながら1塁まで全力疾走する姿がファンの脳裏に焼き付けられた。試合後には盛大な引退セレモニーが土砂降りの中行われ、すべての野球ファンの涙を誘った。
 9月26日、公式戦最終戦となったLG戦でチャ・ウチャンが先発し、自身初となる10勝目をあげ、最高勝率のタイトルも確定させた。サムソンは首位SKと5ゲーム差の2位で公式戦を終え、準プレーオフ:トゥサン−ロッテの勝者とプレーオフで対戦することになった。準プレーオフでは公式戦3位のトゥサンがロッテに3勝2敗で競り勝った。

 10月7日からの、韓国シリーズ進出をかけたトゥサンとのプレーオフは、近年まれに見る激闘となった。大邱での第1戦は先発チャ・ウチャンが打たれ、5回までに5−2と3点のリードを許したが、8回裏パク・ハニの3ランで6−5と逆転勝ちした。第2戦は先発ペ・ヨンスが打たれ、試合も雨で中断するなど運も味方せず、終盤粘りを見せたがあと一歩及ばず3−4で敗れた。
 舞台をトゥサンの本拠地・蚕室野球場に移した第3戦は、両チームともに投手陣がピリッとせずシーソーゲームとなり、6−6のまま延長戦に突入した。サムソンは11回表2点を奪ったが、その裏経験不足の若手チョン・イヌクがこのリードを守りきれず、主なリリーフ陣を使い切っていたため打つ手はなく、8−9でサヨナラ逆転負けを喫した。もう後がなくなった第4戦は、サムソンが主導権を握り5回までに7−2とリードを奪ったが、このプレーオフを通して調子の悪いリリーフ陣がまたもや打たれ、7回に7−7の同点に追いつかれた。しかし8回表パク・ハニの犠牲フライで1点を勝ち越すと、ペ・ヨンスが気迫の投球でこの1点を守りきり、決着は第5戦へともつれ込んだ。
 大邱に再び舞台を移した第5戦は、サムソンの先発チャ・ウチャンが打たれ2回までに5点のリードを奪われた。しかしサムソンは4回裏チェ・ヒョンウの2ランで反撃すると、キム・サンスのタイムリーで1点差とした。そして6回裏イ・ヨンウクのタイムリーで5−5の同点に追いつくと、リリーフ登板したチャン・ウォンサム、トゥサンのイ・ヒョンスン、イム・テフンによる緊迫した投手戦が続き、試合はまたもや延長戦にもつれ込んだ。そして11回裏、パク・ソンミンのサヨナラ内野安打でサムソンが6−5で激闘を制し、4年ぶりの韓国シリーズ進出を決めた。5試合ともにすべて1点差という接戦につぐ接戦だったが、第5戦までもつれ込んだ準プレーオフの激闘で疲れているはずのトゥサン相手に苦戦したサムソンのチーム状態の悪さが目立ったとも言える。
 プレーオフが終わってから2日後の10月15日から始まったSKとの韓国シリーズでは、プレーオフで勝った勢いよりもその疲労感が抜けなかったのか、大差のついた試合はなかったが総合力で勝るSKに主導権を握られ、第1戦から4連敗のストレート負けで韓国シリーズを終え、本拠地・大邱で相手の胴上げを見せ付けられた。だが、大打者ヤン・ジュンヒョクが心置きなく引退できるようになった、若手の躍進による韓国シリーズ出場は大いに評価できる。

 2010年シーズンのサムソンを振り返ると、そこまで攻撃力は高くないが、リリーフを中心とした投手陣でしっかりとリードを守りきる野球ができていた。先発陣の層はあまり厚くないこともあわせて、近年最高の成績を収めているSKと比較的似たような野球をしていたとも言える。
 チーム防御率はSKに次いで2位の3.94であり、先発陣の防御率は4.41と決してよくないが、リリーフ陣の防御率が3.35と1点以上違い、明らかにリリーフ陣への依存度が高かったことがわかる。先発の軸として活躍したのは、2009年末ヒーローズとのトレードで移籍した左腕チャン・ウォンサムで、自己最多の13勝をあげた。規定投球回数に達したのはチャン・ウォンサムだけで、2番手のチャ・ウチャン(10勝)は夏場から先発に定着した。2009年の最多勝投手ユン・ソンファンが不振で3勝に終わり、2000年代3度の韓国シリーズ優勝に貢献したかつてのエース、ペ・ヨンスも5勝にとどまった。また、韓国2年目の外国人投手クルセタ、ナイト(元北海道日本ハム)が故障もありともに5勝ずつだけで、故障で退団したナイトに代わって8月に入団したレディングも1勝と、外国人選手たちが3人で合計11勝と期待に沿うことはできなかった。
 チームの躍進を支えたのは、先日した通り鉄壁のリリーフ陣で、シーズン中5回までにリードを奪った試合は52連勝と脅威的な数字だった。といっても、過去に3年連続セーブ王に輝いた守護神オ・スンファンは不在で、右のチョン・ヒョヌク(11ホールド12セーブ)、アン・ジマン(8ホールド9セーブ)、左のクォン・ヒョク(10ホールド4セーブ)の3人はともに登板試合数が60を超えていた。また、右サイドハンドのクォン・オジュンもワンポイントリリーフ中心で42試合に登板と、故障からの復活を印象付けた。投手陣を支えたのはベテラン捕手のチン・ガビョンで、イ・ジョンシク、ヒョン・ジェユンなどの控え捕手たちもベンチの信頼を得ていた。
 打線はチーム打率(.272)は8球団中5位、本塁打数(118)は5位、得点(688)も5位と、明らかに打撃のチームではなかったことが数字からもわかる。チェ・ヒョンウが24本塁打、97打点のチーム2冠王で、打線の軸となっていたが、不振でスタメンを外れることもあり、ヤン・ジュンヒョクのような不動の4番打者という存在ではなかった。パク・ソンミン(15本塁打)、チェ・テイン(14本塁打)と言った打者たちがクリーンアップを打つことが多かったが、他球団の主力選手と比べて秀でた成績を残したわけではなかった。
 サムソンの攻撃陣の特徴は、チーム盗塁数3位(158)と比較的走れる選手たちがそろっていたことで、犠打数(111)も2位と、SK同様手堅い野球をしようとしていたことがわかる。盗塁王争いをするような選手はいなかったが、パンチ力ある打撃が魅力の内野手チョ・ドンチャンの33盗塁を筆頭に、外野のレギュラーに定着したイ・ヨンウク(30盗塁)、ショートのレギュラーに定着したキム・サンス(30盗塁)と、9番から1,2番にかけて足でかき回す人材がそろい、中軸や6番以下で得点を返すパターンが安定して確立されていた。

 シーズンオフの動きであるが、キム・サンスの台頭でポジションを失ったかつての名ショート、パク・チンマンがSKへと移籍し、FA(フリーエージェント)を取得し日本プロ野球へ進出しようとしたが、身体検査に引っかかって破談となったペ・ヨンスもサムソンに残留することとなった。また、2011年シーズンの外国人選手として日本人投手・金村暁(元阪神)、大物メジャーリーガーのガーコらと契約し、戦力強化にも努めている。2010年の躍進を選手たちが糧にして自信をつけ実力を発揮すれば、2000年代に3度の韓国シリーズ優勝を成し遂げた黄金時代の再現はそう困難なことではないだろう。

(文責 : ふるりん